博士の愛した数式

 テレビで映画「博士の愛した数式」を視た。PCをやりながらの横目でのチラ見だったので、細かい場面の把握は不正確だったが、異色の映画だという感想を持った。

博士の愛した数式 公式サイト

 主演は博士演じるルビーの指環」おじさんの寺尾聰ではなく、実質は深津絵里である。劇中、特に大きな事件が起こるわけでなく、全編ほんわかしたムードで進行してそのまま終わる感じの、今時珍しい映画だ。逆にハラハラドキドキではない、その安心感が興行上のヒットにつながったのかもしれない。数学という世間的には敬遠されがちな題材にもかかわらず、原作が女性であり、全編が優しさに包まれていることからか、女性にも評判が高かったようだ。


 そこで肝心の博士の愛したというのは、いったいどんな数式のことなのか、素人受けもするアインシュタイン

 Emc 2

とかなのか、などと予想しながら視ていた。

 博士の専門は整数論であるらしいことはわかるが、「数式」はなかなか出てこない。ようやく最後の方で、博士との少年時代の思い出を語る数学教師が

 e+1=0

のことを唐突に語り出す。なるほど、オイラーの公式のことだったのか。ちょっと前半の整数の話からは結びつきにくいが、「愛」を語りたかったということだろう。

 実はオイラーの公式

 eix = cosx + i sinx

は、自分が微積分を勉強した大学1年の頃、最も衝撃を受けた公式である。これによれば、それまで別物と思っていた三角関数と指数関数などが、いや事実上すべての初等関数が虚数を介して繋がってしまうことになり、数学の奥深さを思い知らされたものだった。


 原作に実在の数学者のモデルはいるのかと思って調べたら、Wikiによればハンガリーの数学者ポール・エルディシュなのだそうだが、エピソードは知らない。

博士の愛した数式 Wikipedia

 世界的評価が高い日本の孤高の数学者ということで、名前が思い浮んだのは岡潔である。研究所に勤めるある先輩に仕事の相談をしたとき「こんなふうな心構えでやってみてはどうかね」と手向けられた岡潔の言葉は、

私にとっては、生活の中に数学があるのではない。
数学の中に生活があるのだ。

というものだった。さすがにこのレベルになると、学者というより芸術家の世界である。


 日本の数学教育は、試験や競争のための道具として使われている。いわば体育と同じで、他人と競わせながら体力のない者は脱落させる。しかし、本来は数学は芸術と同じような教育にするべきではないのか。誰もが芸術家になれるわけではないし食えるわけでもないが、いくつになっても芸術を楽しみ鑑賞することはできるはずだ。そんなことを考えさせられた映画であった。