森内、史上5人目の実力制永世名人

 将棋の世界では歴史的出来事である、永世名人が誕生した。将棋名人戦森内俊之名人が七番勝負最終局に勝ち、4−3で防衛、通算5期名人となり、十八世名人の資格を獲得した。

将棋:名人戦 森内が防衛、永世名人に 最終局で郷田降す

 将棋の歴史の中では、歴史に名が残る名人という称号が最も権威と伝統があり、森内が江戸時代から数えて18人目となる。ただし家元制度が廃止され、戦前から戦後にかけて現在のような実力で勝敗を競うタイトル戦となってからは、たった5人目である。
 戦中から戦後の混乱期の木村義雄十四世はともかく、大山康晴十五世の18年、中原誠十六世の15年はいかにも長い。近年では谷川浩司十七世がぎりぎり5年で達成している。やはり将棋の世界も競争の激化とスピード化、タイトルの多様化などから、同一棋士の単独長期政権ということが難しくなっているようだ。そんな中での森内永世名人の誕生である。


 ただ将棋界のことを知らない一般の人からすれば「将棋の名人?羽生さんじゃなかったの?」というところだろう。10年前、若干20代半ばにして名人を含む将棋界の七大タイトルを史上初めて独占するという快挙を成し遂げ、世間に「羽生フィーバー」を巻き起こした。
 その後も、タイトル保持者ではあり続けるものの、いくつもタイトルの失冠、奪取を繰り返し、特に名人にはあまり相性がよくないのか遠ざかってしまっていた。


 そのうちに森内が名人を獲得して、コツコツと防衛回数を重ね、いつのまにか永世名人に達していた。森内は羽生に比べれば、名人以外のタイトル獲得はきわめて少ない。手を抜いているわけではないだろうが、名人にだけ集中していると思われてもしかたがないところだ。ちなみに森内は少年時代からの羽生のライバルでもある。そのせいか羽生は森内だけには、ここ一番での相性もよくないようだ。水戸黄門の主題歌の歌詞ではないが「後から来たのに追い越され」というところだ。


 とはいえ、羽生も名人は通算4年獲得しているので、あと1年で永世名人となる。よほどのアクシデントでもない限り、いずれこれは達成するだろう。しかし本来、タイトル獲得数、プロとしての知名度も含めて現役の中ではダントツである羽生が、最も権威と伝統のある名人の歴史にいまだに確固たる名を刻めないでいるのはどうしたことか。大山の18年は無理としても、羽生の勢いからすれば、とっくに10年くらいは名人でいたはずだ、というのが誰しもの思いではないか。


 サッカーにたとえれば、名人戦はW杯みたいなものであり、他のタイトル戦は賞金額はともかく、その他のカップ戦みたいなものだろう。羽生はどの対局でも同じように活躍をするのだが、もっとも肝心の名人戦にそれほど執着がないようにさえ思えるのが、歯がゆいところだ。

 
 史上最強と思われていた羽生でさえも10年も名人でいられないとなると、今後も短命の名人と最小年数の実績の永世名人しか現れないかもしれない。そのうちに目に見えない影のように人間の将棋の歴史に迫ってきているのが、コンピュータによる将棋である。将棋におけるディープブルーが出現するのは、いつの日だろうか。