星野監督と岡田監督

 星野ジャパンが台湾を破り、五輪野球出場権を獲得した。スコア的には順当勝ちに見えるが、なかなか攻めあぐねて、一時2点本塁打を浴びて逆転されるなど、完全アウェー状態のこともあったがハラハラさせる試合ではあった。さすがに闘将と言われた星野監督も、プレッシャーがかかる中での使命達成に涙腺も緩んだようである。韓国戦と続き、野球としては珍しく視聴率も上がったことだろう。

3度宙舞う指揮官 星野ジャパン、一丸で五輪へ(Sanspo)

 勝てば称賛され、負ければさまざまなことが批判されるのは世の常で、まして「日本代表」という肩書きが付けば、順風と逆風の落差はきわめて大きいだろう。


 そんな中で「今だから話せる」というエピソードがあった。アテネ五輪前に倒れた病床の長嶋監督から密かに呼ばれていたという。五輪監督の依頼だということは察せられたので、「会うと断れなくなる」と思い悩み、多忙を理由に面会を断ったのだという。当時の長嶋ジャパンという言葉ばかりが連呼されていた状況を考えると、急にそれを代打の監督として受け継がなければならない立場はあまりにも厳しすぎる。そしてどうせやるのなら、自分のスタッフとやり方で1からチーム作りをしたいと思ったのだそうだ。


 それが星野ジャパンが決まってから、周囲の反対も振り切り、すぐに盟友の田淵、山本をコーチに据えたことにも現れている。「日本代表として参加したくないという選手には出てもらわなくて結構」と就任当初から言い放っていた。ペナントレースでは見られない事実上のオールスターチームになるだけに、お山の大将ばかりになってしまうと、必ず不満や不協和音が生じてチームが結束できなくなる。長嶋監督は1人だけのカリスマ性だったが、星野ジャパンは監督からコーチ、キャプテン、先輩と後輩の選手の縦割りの統制をきっちり行った上での選手への信頼感が、高校野球のようなチームの結束を導いた要因のようである。


 野球日本代表が五輪出場を決定する日に、あえてぶつけたかどうかは定かではないが、サッカー日本代表の方は倒れたオシム監督に代わって、急遽、岡田日本代表監督の就任が発表された。

日本代表監督に岡田武史氏を決定 常務理事会で満場一致(Sanspo)

 今回は病気で倒れた前監督の後任であり、9年前も解任された前監督の後を継いだ急な就任だった。契約上難しい時期だからなのか、サッカー協会からは抜群の信頼があるからなのか、こういう非常事態のときは岡田監督にしか頼めなかったのかもしれない。五輪やW杯の日本代表ということでは、野球よりも先輩格になるサッカーだが、確かに日本のW杯出場の歴史は9年前の岡田監督から始まったといってもいい。


 ただ岡田監督といえば、当時はまだ日本の実力が伴っていなかったとはいえ、W杯では未勝利だった。そしてなにより記憶に残っているのは「はずれるのはカズ、三浦カズ」の言葉である。指揮官の勝利のための非情の采配とも言えるが、結局W杯では勝てなかったことから、どうせ勝てないのだったら日本サッカーへの偉大な貢献者であるカズをなぜ出さなかったのだ、という批判も出て当然だった。当時のテレビ解説の中で、カズの盟友のラモス監督などは戦術の解説もそっちのけで、公然と岡田監督を批判していたことを覚えている。おそらく、当時テレビで観戦していたあまりサッカーは詳しくない一般国民でそう思った人は多かったのではないかと思う。たとえフル出場はできなくても、カズのチームの中でのキャプテンシーを期待していたものだった。


 現在は、大部分の選手もファンも世代が変わったとはいえ、岡田監督には岡田ジャパンがスタートする前から、オシム監督の流儀をどれだけ引き継ぐのかということに加え、過去のそうした逆風もあると思われる。それを黙らせるには、プロである以上、やはり勝つことしかないのが定めではある。