Wikipediaは信用できるのか

 Googleだ、Yahoo!だ、YouTubeだという話題のネットのサイトと並んで、着実に市民権を得てきているのがWikipediaである。今ではGoogle検索で、何か検索キーワードを入れると、必ずWikipediaのサイトが上位にきている。ネット初心者には百科事典的な内容なので、ついその内容をそのままネットからの情報ということで信じてしまい、それで必要十分ということも少なくない。果たして、Wikipediaの情報とはどれだけ信用すべきなのだろうか。

Wikipediaを「信用している」は4割未満、「知っているが参加経験なし」
は9割以上に(CNET Japan)

 Wikipediaの情報は、百科事典のようにその分野の権威が書いているわけでもない。どちらかといえば、マニアックな人が寄ってたかって書いているものと考えた方がよい。さらに匿名の著者なので、記述内容には最終的に責任の所在がない。信じるのも勝手、信じないのも勝手と言えるだろう。
 ただ正しいかどうかをネット上だけで判断しようとすれば、Wikipediaのサイトばかりでなく、複数のサイトのソースから判断すべきだろう。それにしても、Wikipediaの内容にはそれほど間違ったことは書かれてはいないという実感はある。


 ただ、どういう分野の情報を調べるかとなると、多くは人名や経歴、あるいは歴史的な言われについてなどが多いかもしれない。気がついてみると、正しくても間違っていても大した影響がないことについての場合が多い。簡単に言えば、雑学的知識を調べているということである。雑学としてみれば、きわめて多くの内容について検索することができる。まじめに本などでは調べる気にはならないようなことも多いのである。芸能人の情報(本名、出身、年齢、出演暦など)は、まさにそうであろう。


 であるから、Wikipediaは雑学的知識を仕入れるものだと割り切れば、こんな便利なサイトはないといってもよいだろう。それを学術的な情報までWikipediaに過度に頼ろうとすると、話がおかしくなる。大学生のレポートやあるいは高校生以下でも、Wikipediaの内容を丸写し(というかコピー&ペースト)しただけというものが増えていると聞く。子供の頃からネット利用に慣れていることならではの現象なのだが、こういう話を聞くと表面上はネットを「使える」とはいっても、それはネットを本当に理解して使っているとは言えないだろうと思えてくる。というより、正しいネットと情報というものを教えられる人が居なかったとも言えるかもしれない。


 本に頼ろうが、安易にネットに頼るにしても、その情報を手がかりにして、自分で考え判断して咀嚼するプロセスは必ず必要なのだが、右から左へコピーするだけの思考停止人間が増えているようではある。しかしそれは、ネットやWikipediaが普及したからだ、ということにはならないと思う。