「新OA運動」とは何か

 何か久々に聞いたような言葉のOA(オフィスオートメーション)だが、その「新OA運動」なるものがあるのかと思ったら、記事を書いた人の造語であった。さて、そもそもOAとは何だったのか。

マッシュアップによる「新OA運動」の勧め (@IT)

もう20年以上も前になるのだろうか。OAには三種の神器があって「ワープロ、コピー、FAX」によってオフィスの近代化がなされるとのことであった。日本は昔から何でも三種の神器がお好きのようで、その歴史は電化製品の「白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫」から始まっているようである。


ワープロ、コピー、FAX」といっても、ワープロは今は絶滅した国産の日本語専用機のことである。今ではお笑いのような話だが、この三種の神器のスタイルが日本のオフィスの姿に大きく影響を及ぼしてきたことは間違いがない。OAといえばOLが連想され、上司にはできないワープロを華麗に操作し、コピー機やFAXの操作もお手のものというのがカッコいい姿だったのだろうか。
 いつしかOAに電子メールが入るようになり、インターネットブーム以後は「OA化」は「IT化」という言葉に取って代わられ、とっくに死語になっていたと思われる。


 しかし、OAは進化して発展的解消をしたのではなく、厳しく見ればもはや古い(誤った)概念として捨て去られたと見るべきではないだろうか。オフィス事務の合理化が目的だったのは当然だが、その結果産み出されたものは大量の紙ゴミの山ばかりである。考えてみれば、ワープロ、コピー、FAXのどれもが紙ばかり出力するような代物である。よく仕事をする人というのは、せっせと大量の紙を消費するような人であった。おかげでオフィスが集中する都会地では深刻なゴミ問題を抱えることになってしまった。


 だが「OAは間違っていた」などという議論はあまり聞いたことがない(調べたわけではないが)。時代の流れで仕方がなかった、発展途上の公害のようなものと考えられたのだろうか。しかし10数年以上前から、自分は人がやたらに印刷だのコピーする姿を見て「これは間違っている」という思いがあった。


 現在はどうかといえば、相変わらず旧態依然のコピーばかりしている人もいるが、ワープロ、コピー、FAXは電話なども加えて、すべてがPCとネット、あるいはWebに吸収されたといってもいいだろう。OAが発展したのではなくて、急速に発展したネットにすべて飲み込まれたというべきだろう。


 そしてよくわからないのがEUC(エンドユーザコンピューティング)である。どちらかといえば、国とか業界団体の単なるお題目に過ぎなかったのではないかと思える。日本の現場でそんな理想のEUCなどは見かけたことがない。まあ、Excelが適当に使えて、Webを閲覧できる程度のことをそういうのであれば実現していると言えるのだろうが、プログラミング云々が、などといえば何を目指していたのかすらわからない。具体的に言えば、Visual Basicなどで作られたオフィスのルーチンワークの保守が、もう誰にもわからないのだけれど、これからどうすりゃいいのという類の話なのだろう。それを大所高所から、「いや、これからはWeb2.0です」などと言われてもそれは困る。「これからは OA 2.0です」などと言った方が、妙に納得されたりするかもしれない(笑)。具体的にどうするかは知らん。