NEC、日立が次世代スーパーコンピュータ開発から撤退

 一般のニュースでも多く採り上げられたのが、NEC、日立の次世代スーパーコンピュータ開発からの撤退の話である。景気後退の影響がここにも来ているのかという観点であろう。しかし、日本のスーパーコンピュータ開発もとっくに曲がり角に来ていたという印象である。

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 かつて政府主導のメインフレーム開発というのは、旧通産省の国家プロジェクトだった。コンピュータの巨人といわれたIBMのコンピュータに追いつき、追い越すために開発資金をばらまいて、日立、富士通NECなど国内主要メーカーが呉越同舟で参画したものである。それがきっかけとなって、日本の高度経済成長時代の昭和40年代に、日本は世界でも有数のコンピュータ開発技術国となった。それがさらにその時代の世界最高速を誇るスーパーコンピュータの開発へと繋がっている。IBMがスーパーコンピュータからの撤退をしたりしているうちに、日本だけで日立、富士通NECの3社もスーパーコンピュータの覇を競うほどになった。相手はCrayやCDCだった。現在ともに企業としては売却され、Crayは名前だけは残っているものの、かつてのイメージではなくなっている。


 そんな歴史の中、国内3社は国家プロジェクトの形として、まだスーパーコンピュータ開発をやっていたのかという感がある。かつての日本のスーパーコンピュータとは、あくまでシングルプロセッサとしての最高速を達成するというものであった。ギネス記録への挑戦というわけではないだろうが、その発想がいまだに続いているようである。アメリカなどではとっくにシングルプロセッサとしては止め、マルチプロセッサとしての最高速を達成するという現実的路線を歩んできた。その最たるものが、昨年IBMが達成したスーパーコンピュータである。何か根本的な考え方が違うようである。国家プロジェクトして開発を行うという「官製コンピュータ」みたいな発想もそうである。

 
 少し批判めいたことを言えば、国家プロジェクトに参加して開発資金の援助を受けてノウハウだけを得ておきながら、製造段階ではハイ、サヨナラということだろうか。最近は経済不況のことを理由にすれば、雇用取り消しだろうが事業打ち切りだろうが、何でも許されるような風潮があると思える。今は儲からなくとも、将来に繋がる開発にこそ投資するべき話のはずである。結局、スーパーコンピュータでは取引できる相手がごく限られることから、実質的に商売にはならない。それでもスーパーコンピュータを開発しているのは、自動車メーカーがF1に参戦しているようなものである。開発技術が一流であることをアピールするための広告宣伝のようなものである。そしてF1から撤退したかのごとく、スーパーコンピュータからの撤退も、この不況下での巨額の広告費の削減をすることに相当するのだろう。国家財政の逼迫の折、もはや「国家プロジェクト」という発想自体も過去のものになろうとしている。