携帯電話を使う教育

 子供には携帯を持たせるなという風潮が広がっているが、あえて学校側から携帯を子供に与えて教育に利用する試みをするところもある。学校や先生の負担が大変だとは思うが、ユニークな試みであろう。私立学校ならば、むしろそれが学校の特色のアピールにできるかもしれない。

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 出会い系やら、携帯によるイジメの実態がマスコミでも報じられたこともあって、急速に「携帯所持=悪」のようなイメージにされつつある。親が「携帯を持たせる必要性を感じない、携帯は嫌いだ」と言って親子で喧嘩するのはまだしも、政治家が口出しして、それが全体のポリシーのようにされてしまうのもおかしな話である。


 大人も含めて、携帯の可能性をまだ理解していないというのが本当のところだろうか。年寄り世代は徘徊老人を探すためでもなければ、別に無理して携帯を持たせる必要はない。しかし可能性のある若い世代には、現状の技術に触れさせ、そこから新しいことを発想していけるように啓発してやるべきだろう。日本は携帯に関しては発想の点で遅れていると思う。高いパケット料はいまだにPCのダイヤルアップ時代と同じような感覚にさせられるので、自分などはどうも携帯で何かやってやろうという気になれない。なるべくそういう制約を除いた上で、新しい感覚で何かを生み出していけるような教育が必要であると思える。何か差し迫った状況のイランでの抗議行動にTwitterが使われているのを見るにつけ、必要とされるところには新しい発想の展開があるものだと感じられるからである。


 子供とは言えないが、青学大の社会情報学部ではiPhoneを全学生に配布して、授業や大学内での活動に活用するという。パケット料金も大学持ちだそうだから、他大学の学生でもうらやましいと思う人も多いだろう。出席管理や代返防止のような後ろ向きの話はともかく、現在のスマートフォンといわれるもので、イデア次第でどんな使い方ができるようになるかを啓発するにはうってつけかもしれない。やたら禁止だ、規制だという話よりは、まずはトライしてみるという話が多い方がよいに決まっているだろう。