16年五輪招致、東京落選

 「残念」というか「やっぱり」という感の強い16年五輪招致の落選である。国民の意識からすれば、国を挙げてとか都民一丸となって五輪開催をというムードは最後までなかったように思う。少なくても自分の周辺では「東京で五輪が開かれればいいね」などとという言葉は、ついぞ聞かれたことはなかった。

16年五輪:東京は落選 2回目投票で最下位 IOC総会(毎日.jp)
16年夏季五輪はリオデジャネイロに決定!(SANSPO.COM)
「TOKYO…」落選でガックリ/五輪招致
東京落選…スター不在が最後まで響く/五輪招致
東京敗れる…懸命プレゼン実らず/五輪招致

 意外だったのは、日本からすれば最大のライバルと思われていたシカゴが最初に落選したことである。米国のオバマ大統領人気もここでは通用しないということか。日本側では、まるでオバマ大統領と鳩山首相の対決になるかのような向きにも言われていたが、痛み分けのようになって、ある意味よかったかもしれない。こじつければCO2を25%削減するためにも日本で五輪を開催しない方がよかったということにもなる。


 ただ、ここ数日の報道を見てIOC委員とは何様なのかという気にさせられた。投票権のあるIOC委員のご機嫌を伺うためにアピールするスターが不在だとか、ロビー活動がどうかとか、国際政治の裏舞台ではあるまいし、何かおかしいのではないか。そのためにわざわざ各国の元首や王室レベルまで引っ張り出すなどと、スポーツの祭典にはおよそふさわしくないように見える。仮に皇太子様が参加していたら、という問題ではないだろう。政治色が強いからと出席を見送らせた宮内庁の判断は過去の五輪の歴史から照らしても適切だったろう。まるで最近の政治ではタブーとされている官僚の「接待」そのものを思わせるものがある。他国ではそれが常識だとしても、今の日本の風土には似つかわしくないことである。日本はロビー活動が下手と言われても別に構わないだろう。スポーツの本質とは全く関係のないことである。五輪そのものが商業主義に傾いてから、やはりその姿勢が変貌したのではないだろうか。


 昔は国威発揚の場が五輪だったのだろう。ナチス政権下のドイツのみならず、1964年の東京五輪は戦後日本の復興を象徴する場だったはずである。それに合わせて東海道新幹線が開通し、首都高速道が整備され、その後日本が高度経済成長時代に進むきっかけになったといえるだろう。同じことを現代でも期待することは、もはや時代遅れの発想ではないかという気もした。石原都知事などは、いまだにあの時代の東京五輪の夢よもう一度の意識が強かったのかもしれない。今の不況も、東京五輪開催のムードで好景気に転じられるという期待もあったかもしれない。しかし国民の方は、あまり口に出さずとも「また無駄な税金が・・」という思いの方が強かったのではないか。その意味では落選してホッとしているかもしれない。