Widows 7 が発売

 そういえば今日10/22が発売日だったWidows 7。朝のニュースで聞いて思い出したくらいだった。仕事の場では、みなPCを使う人たちなのに誰も話題にしていなかったし、自分からも話題にしなかった。秋葉原ではそれなりに盛り上がったらしいが、何か遠くの出来事のようだった。ネットが主戦場の人ほど、関心が薄いというべきか。

Windows 7発売 「早く帰って触りたい」(ITmedia)
Windows 7の一般販売が解禁―真夜中のアキバに1000人を超える群衆
「10年に1度クラスのお祭り」―本気の盛り上がりをみせたWindows 7深夜販売
Windows 7いよいよ発売 「Vista拒否」のIntelも応援
「ライバルはWindows XP」--VistaとOfficeの発売に向けた...(CNET Japan 2006.10.19)

 Windows発売のフィーバーといえば、もう14年近く前になるWindows95である。あの頃に秋葉原で並んだ人と現在の人たちでは、もはや世代が代わっているだろう。Windows95のことは知らない人たちかもしれない。当時はちょうどインターネット・ブームと重なった時期でもあり、インターネット=Windows95と錯覚していた人も多かった。そしてVista発売時にはWindows95以来10年ぶりの大きなWindowsの進歩みたいな報道がされていた。それは単なるWindows Aeroのデモ画面を見せていただけだった。そしてその後のVistaの評判はさんざんなものだった。


 現在はネットやWebが当たり前のものになり、相対的にWindowsそのものへの関心は低くなっていると思われる。それでも深夜に一刻も早く買いたいと思う人がいるのだから、不思議といえば不思議である。Windowsだけを触っても、実質的なことは何もできないようにも思えるからである。当時なら、Windows付属のゲームをやっていたくらいなものである。


 問題は今後である。Vistaの不評からXPを使い続けてきた組織では、さすがに寿命がきているのでWindows 7にかなり移行しそうではある。「少なくともVistaよりはマシ」というムードが後押しするかもしれない。型落ちのPCのどこまでがWindows 7の動作可能となるかがカギになるだろう。そしてネットブックへの対応である。プリインストールされるであろうStarterではなく、パッケージのWindowsネットブックに導入可能かどうかが大きいかもしれない。それにしても、同じバージョンのWindowsの中での「エディションをアップグレードするパッケージ」というのには、呆れさせられた。アップグレードの言葉の意味を頭の中でアップグレードしなければならないかもしれない。