楽天・野村監督終戦

 野村監督が監督生活27年間にピリオドを打つことになりそうだ。日本シリーズを目指していたクライマックスシリーズ日本ハムに敗れ、楽天監督としての役割を終えた。もし日本一になっていたら、楽天も監督続投をさせざるをえない可能性もあったかもしれないが、結果的には惜しまれての退任ということになりそうだ。

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 試合後、なんと楽天選手ばかりでなく、相手の日本ハムの選手、梨田監督まで加わって野村監督が胴上げされた。あらためて、ここに野村監督の野球人生が凝縮されていると感じられた。確かに日本ハムの稲葉、吉井コーチはヤクルト時代に直接指導を受けている。坪井は阪神で、武田勝はアマ時代のシダックスで、さらには引退した新庄も阪神時代に野村監督とのやりとりが連日話題になった。そしてなぜ梨田監督までと思うかもしれないが、パ・リーグにあって偉大な捕手としての先輩である(捕手として3017試合出場。世界記録だそうである)。現役時代から捕手として多くのことを影響を受けたことは想像に難くない。


 それにしても野村監督はしぶとい。現役時代、全く人気がなかったパ・リーグ三冠王をはじめ、張本とともに多くの打撃記録を作った。しかしあまり注目されることもなく「長嶋はひまわり、俺は月見草」の言葉を残した。監督としては、南海時代にプレーイングマネージャーとなり、日本シリーズでV9時代の巨人と戦っている。弟子の古田には難しかったが、当時は成功させていたといえるだろう。


 当時から無名選手を育て上げたり、実力がありながら他球団でトラブルのある選手などを再生させる「野村再生工場」と言われていた。豊富な野球知識はもとより、選手の才能、努力を見抜く眼に長けていたことをうかがわせる。かつての江夏、江本などは野村監督に再生された人達の代表である。ボヤキばかりかまして、めったに人を褒めないイメージだが、自分が直接かかわった選手ではないが、巨人を退団したときの桑田のことを「あの人はプロ中のプロ」と賞賛していた。田中が楽天に入団しても「桑田タイプを目指せ」と言っていた。野球観の深さで相通じるものが、すぐにわかるのだろう。桑田の希望で野村監督と対談したこともあったが、その中でも「後継者ができたな」と言っていた。ボヤいていても見る目は正確であり、言葉は核心を突いている。だから記者も面白さを求めてだけでなく、集まるようになったのだろう。


 監督としては、いつも最下位にあえぐ球団をまかされ、数年後にはトップに導くような名監督ぶりだったといえるだろう。自身が選手としては無名のテスト生から這い上がり、一流選手になったことが反映されている。華やかさでは長嶋監督王監督だっただろうが、大病もなく、しぶとく監督を長く続けられたことによって「無事これ名監督」ではないが、監督としては両監督を上回ったともいえるだろう。