次世代スーパーコンピュータ開発予算も仕分け

 国家予算の使い道である事業を削減するための「事業仕分け」が連日報道されている。「聖域なき削減」を謳っているだけに文部科学予算も例外ではなく、電子黒板ばかりでなくスーパーコンピュータ開発事業も予算削減対象になりそうである。

次世代スパコン、事業仕分けで事実上の「凍結」と判定(ITpro)
次世代スーパーコンピュータは「予算大幅削減」、凍結の可能性も(ITmedia)
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(追加)第108回 スパコンが机の上に載る日がやってきた(@IT 5.26)

 民主党政権になって、これまで国の予算の取り合いをしていたものが、大幅に削減されようとしている。国の借金や国債発行額をみれば、いかに野放図に国家予算が使われてきたかということを再認識せざるをえない。これまで予算折衝やら族議員の存在というものは、まさに国の予算をいかに自分のところに呼び込むかという分捕り合戦だったわけである。しかしただでさえ膨れ上がった予算に加え、不況で税収も大幅に落ち込むのでは、もはや国全体の家計が火の車、借金だらけの状況では背に腹は代えられないといえるだろう。なんのことはない、国そのものが夕張市のような財政再建団体に落ち込んでいるようなものである。


 そんな中で「金を出せ」とばかりに国政を批判する団体ばかりでは、何かおかしいのではないか。どんなに国が借金漬けだろうが、自分に金が回ってさえくれば、後は知ったことではないという体質が感じられて仕方がない。


 それはともかく、国家事業としてのスーパーコンピュータの予算についても「待った」がかかったようだ。仕分けをする側が素人だ、拙速だと批判するのは易しい。だが、この事業に関しては不況のせいもあって、もともと富士通NEC、日立のかつてのスーパーコンピュータ開発御三家のうち、すでにNECと日立が撤退してしまっている。国の補助を受けておきながら途中で撤退ということ自体、前代未聞の「ありえない」ことだったのではないか。理研が取りまとめ役とはいうものの、事実上、開発が富士通1社だけになってしまっては、わざわざ国が補助する意味が失われているといってもよい。スーパーコンピュータそのものが必要であるかどうかという議論ではない。


 このスーパーコンピュータ予算削減あるいは凍結について、いろいろな人が意見を言っているが、やや興味を引いたのは仕分け側の民間人として金田康正教授が入っていることである。この先生は、日本でスーパーコンピュータを使って円周率πの桁の計算の世界記録を作ってきたはずの人である。これには当時スーパーコンピュータの無駄使いではないかという批判もあった。しかしまさにスーパーコンピュータで世界一を達成してきた人である。今でも筑波大学で続けられている。それが今回はスーパーコンピュータ開発予算の削減に賛成する立場に回っているのである。スーパーコンピュータの実態を知っているからこそかもしれない。


 いろいろと事情もあろうが、コンピュータ開発そのものが、もはや「まず国家の補助ありき」ではないだろう。アメリカならばスーパーコンピュータの開発といえどもベンチャー企業から起きてきそうなものである。かつてのCrayなどもそうだった。また現在はスーパーコンピュータといってもIntelのCPUを大量に組み合わせただけのようなものになっているから、予算規模というよりアイデアの部分が大きい時代になっているのではないか。スーパーコンピュータが、ただ大企業が国家予算を手に入れるための方便の1つという時代ではないし、その余裕もなくなっているのである。少なくともNEC、日立が撤退した時点で、予算の打ち切りか削減と判断されても当然ということになるだろう。日本が科学技術立国であるために、世界一のスーパーコンピュータ開発技術が必要という議論の場面とは違うと思えるのである。