日本人2人にノーベル化学賞

 ブログに日本人ノーベル賞受賞のことを書くのは一昨年の3人の物理学賞以来2度目である。物理学賞と化学賞受賞はこれでともに7人と並んでいる。まずは日本の国のステータスを示したという点で、喜ばしいことである。

ノーベル化学賞:鈴木章氏と根岸英一氏ら3人が受賞(毎日jp)
ノーベル受賞の日本人化学者を育てた、パデュー大学の..(ITmedia)

 お二人の研究内容は「有機化学」ということだけでもちろんよくはわからないが、その後の製薬や液晶の製造などに応用される技術になったのだという。その意味では現実を超越しているようなする素粒子論や宇宙論の物理学賞に比べれば、きわめて世の中の実用に供したものになったといえるだろう。確かに歴代の化学賞はそうしたものが多いように見える。


 他国の場合はどうか知らないが、日本にとってのノーベル賞受賞者の輩出は、戦後日本人初となった湯川秀樹インパクトが大きかったと思われる。敗戦後すべてを失った感の強かった日本に、誇りと希望を与えたものだった。その後に受賞した朝永振一郎もそうだが、その研究は戦時中に欧米との情報が閉ざされていた間の、独自に発展させた成果だったということである。江戸時代に鎖国していた日本が、開国してみたら欧米にひけをとらないほどの「文化」を持つ国だったということにも似ている。


 さて現代は日本人も自由に海外の研究情報もいち早く手に入るし、海外で研究している研究者も多い。むしろ日本の制度的な窮屈さを逃れ、本当に優秀な人は海外での方が研究成果を出しやすいということがあるようだ。研究予算だけの問題ではないようだ。昔から頭脳流出といわれる所以である。スポーツ選手が国内よりも、メジャーリーグや海外リーグの方が伸び伸びと活躍できるようなものである。


 さて一昨年4人と今年2人とノーベル賞が続いたことは、日本人にも有能な人が居るところにはいるものだと思わせられるが、気になることもなる。それは最近の受賞が30年近く前の研究成果に対するものだということである。認められるまでにそれだけの年月がかかったともいえるが、では30年以内の研究に受賞候補になるようなものはなかったのかという疑問も湧く。今後も30年前くらいものの対象が続いていけばよいが、それ以降は見るべきものがないとなると心細い限りである。国家財政困窮からの研究予算の削減、子供の理科系離れが長期間続いていくようだと、科学研究と技術開発の将来は暗い。そうなると資源もない日本は、人的資源を輩出する可能性が小さくなってしまい、国力そのもの衰退することになりかねない。時代的に湯川ほどでないにしろ、ノーベル賞受賞が将来への大きな刺激になってほしいものである。