ノートPCが恥ずかしい時代になるか?

 恥ずかしいかどうかはともかく、iPadをはじめとするタブレットPCが、今後どれだけ現在のノートPCにとって代わる存在となりうるかは議論の余地はあるだろう。スティーブ・ジョブズ氏は「PCはトラックのようになる」と言っていた。

孫社長「ノートPCが恥ずかしい時代来る」ソフトバンク..(ITmedia)

 とって代わるとしても、従来のノートPCの利用目的がすべてタブレットPCでスムースに代替できるものであるならよい。Webのブラウジングやメールを書く程度であれば問題はないだろう。孫氏は長文を書くときだけ、外付けのキーボードから入力するといっているが、仮想キーボードはやはり効率的ではないのではないのか。文章を作ることやプログラムを作るのが主の人はどうか。グラフィック関係の人はやや特殊ではあるにしても、あれくらいの画面で指でスライドさせるだけで十分なのかという気はする。ノートPCだろうがタブレットPCだろうが、キーボードやディスプレイさえ外付けできればデスクトップPCのように利用できてしまう(解像度云々の問題はあろうが)。タブレットPCの利便性がモバイル性にあるとすれば、自宅やオフィスにはキーボードやディスプレイを置いておけばよいということになるかもしれない。


 それ以上にノートPCとタブレットPCという末端の部分だけで比較していても仕方がないかもしれない。結局、アプリケーションはWebサービスに移行しているわけだから、いかにスムーズにWebサービスにアクセスできるかという利便性が問題になる。セキュリティに関してもWebサービスの土俵の上では同等であるだろう。


 あとはファッション感覚的にノートPCはダサイというのであれば、それは例えば電車の中とか喫茶店の中とかでスーツ姿のサラリーマンが操作するのがというなら、これはもう何も言えない。それは必要性が差し迫ってのことであろうから、格好どうのこうのは言っていられない。


 そういえば昔は、サラリーマンが小脇にノートPC(Dynabook)を抱えてビルの外を颯爽として歩くというCMがあったくらいである。危ないから普通ノートPCは裸で持ち歩きはしないよ、と思ったものだ。まだノートPCが3kgくらいあった時代である。それはともかく会議の場になると、やにわにノートPCを取り出して係でもないのに、これ見よがしに議事録を付けているような人がいた。発言する人よりノートPCの画面ばかり見ている。あれはダサイというか失礼な態度だと思った。それこそ恥ずかしいといっていいかもしれない。今から見れば会議中に携帯をいじっているのとたいした変わらない。


 というわけで、ノートPCはトラックになるかもしれないが、コマンドライン操作はやはりこちらだろう。そしてノートPCにしろタブレットPCにしろ、それを利用するTPOが問題だというだけである。