Wikipediaが10周年

 早10年か、まだ10年か、は感じ方の差だろうが、栄枯盛衰が激しいネットの世界で10年というのは長い寿命といえるだろう。Wikipediaは単なるシステムというより、集合知を実現したものとして、完全に根付いているといえる。

オンライン百科事典Wikipediaが10周年(ITmedia)

 ソフトウェアがオープンソースなら、Wikipediaに提供される知識も共有されたオープンソースみたいなものとなっている。分厚い百科辞典で軽いことを調べるよりもはるかに手軽に調べられるから、あっというまに誰でもWikipediaを参照するようになった。下手をすると小中学生くらいから「調べ物」ということで社会の授業でやっていそうだし、大学生に至ってはレポート課題の内容をWikipediaからのコピペで済ますなどという芸当をやってのけてしまったりする。


 そんなわけで誰でも知っているオンライン辞典のようになっている。これには創業13年ほどのGoogle検索との結びつきも大きいだろう。「Google先生」の知識の多くはWikipediaに拠っているところもある。ポピュラーなキーワード、人名などをGoogleで検索すると、ほとんどトップにWikipediaの記事が現れるからである。知らない用語だと、とりあえずWikipediaで調べておくかということになる。そしてそれで必要十分であったりすることも多い。


 Wikipediaをめぐっっては広く知られているだけに問題点も言われる。まず情報の信憑性である。いろいろな人が書くとはいえ、先入観や主観で書かれていないか、根拠や出典があいまいなものはないかである。何でも鵜呑みにするべきではないが、世の中やネットのことを知っている人はともかく、子供の頃から安易にWikipediaにばかり頼るのもどうかということもある。これはネットと教育の話にもなるだろう。


 それからWikipedia自体の運営の問題である。書き手はボランティアであるとはいえ、近年は書き手が減少してきているという噂もある。既に考えうるほとんどの項目についての記述がすでに存在し、多くの書き手にとっては、新規項目は少なく加筆修正ばかりになりつつあるといえるのではないだろうか。記事のメンテナンスという点ではもちろん重要なのだが、どちらかといえば退屈な作業になりつつある。それが影響しているかどうかはわからないが、最近は記事トップにいきなり大きくCEOが登場して寄附のお願いをしているので、びっくりさせられていた。万が一Wikipediaも運営が立ちいかなくなったら、蓄積されてきた膨大な記事はどうなるものかとも考える。


 Wikipediaは、同時にMediaWikiというソフトウェアと「Wiki」という言葉も有名にしたといえる。先日は「WikipediaWikiLeaksにはどういう関係があるんですか?」と聞かれて思わず笑ってしまった。なるほどWikiLeaksも、うまく「Wiki」の言葉を冠したものである。さてこの先10年も、Wikipediaはどういう形で発展して残っていくことになるのだろうか。