エジプト政変とFacebook

 エジプトではとうとう最大100万人規模の市民のデモが、大統領を辞任にまで追い込んだ。ネットの中の情報ではそれほどでもないが、CNNなど米国のマスコミ報道では特にソーシャルメディアであるFacebookが大きな役割を果たしたと、さかんに強調されている。

エジプト政変はGoogleのイメージにプラスか?(ITmedia)

 エジプトのGoogle幹部であるエル・ゴニム氏が象徴的役割をしたとされる。デモの最中に犠牲となった青年に涙する姿が市民の共感を呼び、デモ拡大を決定的にしたとされる。そのゴニム氏が「Facebookのおかげ」と語っていたという。実際のところ、政府によって統制されたマスコミからは得られない情報が、Facebookによって、まさに口コミのように伝わっていったと想像することはできる。そこにはTwitterYouTubeも連動しているだろう。今は時代的にたまたま、Facebookが中心になっているというところである(デモの様子を報じるFacebookのページに「いいね!」を投票すれば市民デモに間接的に参加できる?)。


 ただしエジプトのインターネット普及率は、まだ20%ほどであるらしい。まだ富裕層の家の子息の道楽といった位置づけらしい。であるから、本当にFacebookがそれだけの影響を与えたといえるか疑問視する向きもあるらしい。一部のFacebook利用者がその他大勢の多くの年代の市民に情報を伝えたと考えることもできるが、Facebookの情報に触発されたのは放送局のアルジャジーラで、後追いで同じ情報を放送した。エジプト発のの放送では見られないことも、アルジャジーラでは多くの市民が見ることができたために、これがダメ押しのデモの決定的動機となった、というものである。つまりソーシャルメディアとテレビの連携プレーだったというわけだ。多分に既存マスコミの負け惜しみも入った見方ではある。なお、そのアルジャジーラに資金的に最も収益をもたらしているのは、なんとNHKらしい。つまりは我々の支払う受信料なのである。


 ネットが既存マスコミにはなかったような役割を果たすような事件が、最近では多くなった。ある意味、既存マスコミにとっては、それは彼らの脅威でもあるわけだ。既存マスコミは情報を発信する際に、必ず何らかのフィルターを通す。彼らにすればそれは常に「良識」なのかもしれないが、それが人々に伝わる時点では歪められた情報になっている可能性もある。政治的圧力がかかっていれば尚更である。あるいは何者かの意図を感じてしまうこともある。それに対してネットの情報は、裸のままの情報である。編集もしていないし、時間の制限もない動画などは特にそうである。多くの無名の人の意見を見ることはできるが、情報への評価は、その情報を知った人の判断にまかされる。マスコミのように変に権威的な評論、感情的議論もいらない。


 マスコミでは「ネット上で騒がれている」というような表現を使ったりするが、それは騒いでいるサイトばかりを見ているからだろう。もっと広く情報を見れば、マスコミよりもネットの方が全体的にははるかに冷静であり、バランスが取れてくるように思える。「マスコミで扇動される」ことはあっても、ネットからは影響は受けても扇動されることは少ないだろう。マスコミにはどこかに「ネットは危険」と思わせたい意識が、働いているように見える。WikiLeaksにしろ、国内的には尖閣ビデオ問題のような極端な例だけをもって「ネットは危険」を強調したくなるわけだ。


 マスコミは上下に1方向にしか繋がっていないが、ネットは四方八方に繋がりを持つ。仮にどこかが突出したとしても、全体では必ず抑制とバランスの力が働き、一方向に壊滅するようには働かないだろう。それはネットによって情報格差がなくなってきているからだと考える。