チューリングの論文を無事「落札」

 あのアラン・チューリングの論文がオークションに出されていたという。有名な「チューリングマシン」の原論文なのかどうかはよくわからないが、Googleの10万ドルの寄付などの協力もあり、チューリングに縁の深い研究所が落札することが可能となり、所蔵、展示されることになるという。

「コンピュータの父」チューリング博士の論文、救われる(ITmedia)
チューリング博士の論文を救え―ネットで寄付募る..(2010.11.25)

 チューリングといえば、現代のコンピュータの原理といってもいい「チューリングマシン」を提唱した、いわば「コンピュータの父」と言ってもいいが、これはノイマン型コンピュータよりも早い業績である(1936年)。その論文 "On Computable Numbers, with an Application to the Entscheidungsproblem" は、学生時代に見たような記憶がある(ちゃんと読んだわけではない)。ちょうど「量子コンピュータ」に関連して論文をたどっていたときだったと思う。話としてはコンピュータの原理や人工知能の基礎の中でしばしば登場してくるのだが、あまりよく解らなかった。イメージとしては1本の延々と続く磁気テープの上をシーケンシャルにヘッドが前後に1ステップずつ動作するだけで、何でも可能な「万能マシン」になるのだという、わかったようなわからないような話だった。それもそのはずで、あれは厳密にはコンピュータの原理というより、数学の話だったようである。オートマトンの話のような感覚である。


 チューリングに関してのもう1つの大きなエピソードは、第2次大戦中のナチス・ドイツの使っていたエニグマ暗号の解読に成功したことである(1939年)。当時の英首相チャーチルは、その事実をドイツに悟られないように指令を出していたとされる。もしその事実を早期に知られると、ドイツの当時の科学技術力からして、ただちにまた新たな暗号に切り替えてくるだろうし、それは戦況にとってはさらに容易ならざることになる。実際に暗号の解読以降、連合軍は反撃に転じることになり、結果的にノルマンジー上陸作戦に繋がったという「裏の歴史」の立役者とされる。


 論文のイギリス国外への流出を食い止めたBletchley Park博物館は、戦時中はチューリングが所属していた暗号研究所だったという。「チューリング記念研究所」になっていてもよかったくらいだろう。何しろ「チューリング賞」といえば、コンピュータの世界のノーベル賞みたいなものなのだから。