タブレットPCの可能性

 iPhoneAndroidが席巻して、さらにiPadなどタブレットPCが登場するに至り、「ポストPC」とさえ言える状況になりつつある。タブレットPCにおける「電子書籍端末」機能は、スマートフォンにおける「音声通話」機能程度のものなのかもしれない。

“ポストPC時代”はPCの死ではない―米Forrester予測(ITmedia)

 タブレットPCが出てきたからといって、すぐにPCすべてがそちらに移行するとは思えないが、PCとネットの歴史の変遷において、1つの転換期になる可能性はあるといえるだろう。それはPCの代替がタブレットPCという狭い見方なのではなく、かつて言われた「ユビキタスコンピューティング」の実現ということでもありそうだ。


 ユビキタスもよくわからない用語であったが、以前は携帯電話やカーナビも「いつでもどこでもコンピュータ」の例であった。それから衣服にも付けられるウェラブルコンピュ−ティングの可能性も言われたものだ。それが現在のスマートフォンタブレットPC、そして背景としてあるクラウドがその概念を進化させつつあるといえそうだ。


 従来PCと、ことさら対立させる必要はないと思えるものの、メーカーにとってはネットの下流に位置するユーザのマーケット的には、今後はタブレットPCの需要が伸びることは明らかなのだろう。PCはデスクトップ型は下降、ノートPC・ネットブックは横ばい程度くらいになるだろう。


 それは仕事とプライベート、生活や文化論的観点からもそうなる可能性が高いのだろう。仕事の場ではPCを、プライベートや生活の場ではタブレットPCの方で用が済むということになるだろう。文化的にはますます家具に近いものになることである。これまでPCでも電話やテレビなどの機能は持ちえたが、タブレットPCは本棚の本、持ち運びできる本やノート、カメラなどにもなり、家具の範囲を広げたことになる。家電製品というよりコンパクトなモバイルな家具のイメージである。


 これはコンピュータというより、ライフスタイルそのものを変える可能性があるし、子供の教育から変える可能性もある。ノートPCは仕事の道具であり、むしろそれに特化していくだろう。それにしてもタブレットPCが短期間のうちにこうした「転換」を意識させるものになるとは思いもよらなかった。