「平泉」が世界遺産に登録

 世界遺産に自然遺産の小笠原諸島とともに、文化遺産に平泉の登録が決定された。3年前に1度見送りされていただけに、やや驚きの感もある。文化遺産としての価値だけでなく、今回は震災復興の気運に後押しされた結果かもしれない。

世界遺産:「平泉」文化遺産に登録決定 ユネスコ(毎日jp)

 平泉といえば、昔のことだが、自分は中学生の頃初めて研修旅行か何かで行ったことがあり、その後社会人になってからどこかに出張した際に途中で立ち寄った記憶がある。研修旅行の時は、中尊寺を見学する前に引率した先生が「ミイラは見られませんがね」などとダジャレを言ったことだけが記憶に残っている。


 奈良・京都のような栄華を誇っていた平泉は、蝦夷地といわれた東北にあっては異色の存在である。津波の大きな被害があった宮城県南三陸町近くには平泉文化を支えた金山があったといわれる。


 また歴史では平泉の藤原氏は、源頼朝から追われることになった源義経をかくまったとされることが世間の支持を受けやすいことになっている。「弁慶の立ち往生」もこの地である。その後頼朝に藤原氏は滅ぼされることになるが、平泉の寺院や文化は守られた。


 世界遺産とは、どうも西洋の発想のような気がしてならない。西洋とは征服の歴史である。そして「石」の文化である。征服の象徴である城や寺院は支配者が変わっても延々と続いているもので、それが世界遺産となっている。日本は「木」の文化であり支配者が変わると新たに建立される。日本は地震国であるから石の建造物は向かずに木の建造物となった。それだけに火災で消失もしやすい。また島国であっただけに他国と交わることもなく独立した文化として発展した。そこに「世界」というイメージが少ない。西洋ではキリスト教イスラム教が対立し、交わったりしている世界遺産もある。


 そうしたことから日本の文化は世界遺産とは認められにくいのではないか、という感じもしていた。ただ世界的にも、すでに大きな文化遺産は出尽くしており、現在は各国のきめ細かい遺産を指定する段階になっているのかもしれない。