国民に「マイナンバー」

 消費税の値上げにばかり腐心しているように見える現政権だが、これも関連した「一体改革」の一環なのだろうか。国民に共通番号を割り振る法案が簡単に閣議決定された。

国民に「マイナンバー」 共通番号法案を閣議決定..(ITmedia)
自殺対策「GKB47」を撤回「AKB48もじり」..(J-CASTニュース 2.7)

 そもそも国民に番号を振るというと、近年は話題にすらならなくなった「住基ネット」がある。自分のところにも何年か前に市役所から「あなたの住基ネットの番号です」みたいな郵便通知が来て、それっきりになっているのを覚えている。それが何に使われているのか、少なくても自分が積極的に自分の社員番号や学校の学籍番号のように使う場面はない。市役所の内部では戸籍や住民票の管理には使われているのかもしれない。


 ただ、「住基ネット」が話題になっていた時期にもそれに反対し、自治体によっては導入を拒否していたところもあったはずである。その後どうなったかは、全く不明である。使われているところでは使われているし、そうでないところでは従来のままというのが実態なのかもしれない。そもそも「住基ネット」は自治体単位のものであり、転居したりすると全く別の数字になってしまうものなのかもしれない。


 そして忘れた頃に、降って湧いたような国民に「マイナンバー」である。ネーミングセンスがいかにも軽い印象は受ける。ネット時代が進んだ現在、国民の情報(高々1億3000件である)を一元化したデジタルの数値データで処理した方が合理的だということは、それは誰でも解る。それはともかく、歴史的経緯をどうとらえているのだろうか。国民一人一人を番号で識別することを昔は「国民総背番号制」と呼ばれ、その意味合いは決して良いものではなく反対も根強いものであった。現在でこそ、個人情報の保護の観点から論議もなされるが、当時からの反対の理由はもっと根深いものであったと記憶する。それは国家権力に国民が管理され、昔の徴兵制に繋がるという過去の暗い歴史への危惧というものだった。それが今は時代が変わったからと言うのは簡単だが、体制や政権などはいつどう変わるものかの保障はない。そういった思想的な背景から長い間進んで来なかった話を国民的な議論もないままに、いつのまにか便利でいいからくらいの乗りで「マイナンバー」と決まりましたという決定過程には、違和感を感じざるをえない。


 関係はないが「これはヒドイ」というネーミングの軽さでは、最近の慌てて取り下げた「GKB47」だろう。自殺防止キャンペーンのキャッチフレーズのつもりだったという。ネーミング1つで、その問題にどれだけ真剣に取り組んでいるかが窺いしれるというものである。国家の重要な問題がそうしたいかにも浅薄な発想で決められていくのだとしたら、うすら寒いものを感じざるをえない。