オープンソースと独自開発ソフトの品質は同等

 ネットが普及してからは、同時にデスクトップにインストールして利用するソフトウェアが、商用ソフトかオープンソースのソフトウェアかの選択肢ができた。個人の趣味で利用するものならどちらでも構わないが、仕事に関連するものだとその選択に悩むこともある。仮にオープンソースを選択することを提案しようとすると、そのソフトウェアの信頼性やサポートの問題などを、知らない人にもよく説明しなければならなくなるからである。

オープンソースコードの品質は独自開発ソフトと「ほぼ同等」―Coverity調査(ITmedia)

 そんな中、独自開発とオープンソースソフトウェアのコードの品質は同等との調査報告がある。その調査の手法はともかくとして、すでに「オープンソースの時代」と言われ始めた頃から、そのプロジェクトの質や可能性は、独自開発いわゆるプロプライエタラリのソフトウェアを、むしろ多くの面で上回っていると感じられる。Linuxをはじめとして、ネットの力で事実上は誰でも参加できる可能性と、開発に対するフィードバックが大きいからである。最近は自分もCentOS 6のサーバーを導入したのだが、品質などもますますRHEL 6に遜色のないレベルだと感じられる。


 オープンソースソフトの問題は、普及率と実際に導入するとすればサポートがどうなるのかという不安が大きいため、従来型の商用ソフトを導入し続けるというケースが多い。しかし本来はソフトウェアの共通性が重要なのではなく、ネットを介したデータの互換性が重要なはずである。商用ソフトを信頼し続ける人にやめろとはいえないが、少なくとも新規プロジェクトなどでオープンソースを全面的に利用することに、同じ感覚で異議を挟まないでもらいたいものだとは思う。


 そして説明するときに「オープンソースソフト」と「フリーソフト」の言葉の使い分けには注意している。無償だと何でも「フリーソフト」→「不具合」→「信用がおけない」と個人の趣味で作ったようなソフトと同じ感覚で捉えられてしまうからである。したがって「オープンソースソフト」を提案するときには

    • 世界的にもメジャーなソフトウェアである
    • 商用ソフトとのデータの互換が可能
    • 日本語化がなされている(日本法人や団体が存在している)
    • できればポータブル版も存在すること


などを説明するようにしている。多くの人は「タダ」であることは品質が悪く、仕事には使えないという偏見を根強く持つからである。サポートというものも何か保険のような安心材料と考えている。あるソフトウェアでは、開発していた企業が解散を機にオープンソースとして公開してプロジェクトが引き継いだものだから、品質は商用ソフトと同等だとわざわざ説明したこともある。別に元が商用ソフトだから信用がおけるというものでもないが、相手によっては説明の方便だというわけである。


 自分などはOSからアプリケーションまで、すべてオープンソースでそれらの組み合わせで構わないと思っているクチだが、他人とも一緒に仕事をするためにはそうもいかないので、今後ともオープンソースかプロプライエタラリかで揺れる場面は当面続くだろう。