「脱PC」の働き方とは何か

 コクヨのヨコクみたいな「脱原発」ならぬ「脱PC」宣言とはどういうことか。まあ、おおよそ予想のつくことではあるが、スマートフォンタブレットに業務もシフトしていくということのようだ。

「脱PC」の働き方を目指します―コクヨが宣言(ITmedia)

 単なるデバイスの利用の変化だけでなく、次世代の働き方やオフィスの在り方までを変えていくという発想であるらしい。確かに従来のPCのように、職場のデスクにほぼ固定されてそこに張り付いて、PCに「使われて」仕事をするのもいかがなものかとは思う。


 思い起こせば1990年台の初め頃、「ダウンサジング」と称してPCが職場の机に1台あるのが普通のスタイルになっていったように思う。それがノートPCになっても、あまり日本の事務所の中の机のレイアウトなどは変わらなかったように見える。ただ机の上にPCが置いてあれば、なんとなく仕事をしているかのように見えるようになったことも確かである。


 しかし現在のようにモバイル環境が自在になっていれば、これら職場の机の上でだけでしかできなかった、かなりのことから解放される。たとえばメールの読み書きである。昔は朝出勤して自分の机のある場所にどっこいしょと座ってからでないと、メールの処理ができなかった。今はそれに制約される必要はないし、そもそもメールの重要性が低くなりつつある。


 次には書類のやりとりである。昔のドラマなどを見ていると、わざわざ書類を秘書や社員が別のフロアにある部屋に届けるというのが、オフィスの仕事の典型的シーンとしてあることである。まあ上司の印鑑をもらって裁可を得てというのだろうが、途中に並ぶ盲判の数々を見て、なんと非効率なことをやっていた長閑な時代と思えることもある。


 最近でも一番苦手なのが「勝手に」印刷されただけのものが机の上に配布されるだけのものである。配布する側は、それが相手によってどう保管されたり廃棄されるかなどは何も考えていない。しかし「個人情報の扱いにはご注意下さい」などという注意はしっかりと書いてある。印刷して沢山のコピーを作ってしまうこと事態が、セキュリティ的に問題ということになってはいないだろうか。今ならメール添付よりも「ファイル共有」一発である。問題はネット上で、いかにリアルタイムで共同で文書を作成するかであろう。そして文書を作成する人達は、物理的にどんなに離れた場所に居ても構わないわけである。


 いわば動きながら仕事ができる環境が整ってきたわけだから、必然的に従来型のオフィスやPC環境は減らしても構わないことになってくる。座る机はあっても別にPCを置く必要もなくなる。「1人PC1台の職場環境」そのものが古くなるということだ。以前から思っているのだが、一人1PCは、実はMicrosoft Officeのライセンスに関わっている。Officeが仕事で必須にならなくなれば、結果的にオフィスやPC環境も大きく替えられるということである。いきなりゼロにはできないだろうが、Officeなんて清書用にいくつかあればよい。あるいはGoogle AppsのようなWebサービスに切り替えて、少なくても下書きは済ませられる。


 あとは会議や打ち合わせである。昔ながらの誰かのご機嫌を伺うだけのものは必要最低限でよいし、むしろネットで日常的に蜜に連絡を取り合っている方が、リアルで会って議論すること意義が、かえって見えてくるということもあるだろう。