長嶋氏・松井氏に国民栄誉賞

 エイプリルフールかと思いきやそうではなく、長嶋監督と松井の国民栄誉賞のなんとW受賞が内定したという。号外まで出たというから久しぶりの大きな話題である。

長嶋、松井両氏に国民栄誉賞(スポーツ報知)
長嶋さん、松井さん国民栄誉賞 ミスター、まな弟子との同時受賞喜ぶ
後援会名誉会長の森元首相“親心”の..(Sponichi Annex 2012.12.29)

 圧倒的に称賛の声は大きいものの、何でも批判したがる人もいる。そうした人達は何を批判したいのか。他の野球関係者との実績の比較か、安倍政権の批判か、あるいは税金の使い道が、とかいうのだろうか。たとえば日本人のノーベル賞受賞者が決まっても「なぜあの人が」と批判する人はいないだろう。他国で決定されることとその分野のことが理解できないからである。国内の賞で野球というテレビを通じて誰でも知っているスポーツだからこそ、自分のイメージや好みに合わないと批判したがるだけである。そういうネガティブな見方はここではやめよう。


 そもそも国民栄誉賞王監督の現役時代にホームラン記録が当時のメジャーリーグハンク・アーロンのホームラン記録を抜いて、事実上世界新記録となったことをきっかけに創設されたものである。その後、他スポーツ選手や芸能人や歌手、映画監督も受賞するようになったが、もともとプロ野球と縁が強いものである。ただ実際にはプロ野球関係者は王監督と「鉄人」衣笠に続き、ようやく3,4人目である。昔から政治家でも世代が関係するがプロ野球ファンは多い。新内閣が発足した時に「全員野球で」などという言葉があったりするのには苦笑してしまう。「政治は野球じゃないだろう」と。もともと国民栄誉賞は歴史的にも時の政権との関わりが深いのである。つまり、時の話題を時の政権が人気取りに国民人気に便乗しているといっても過言ではない。だから誰がいつ受賞するかはその時の政権の全くの主観と独断によるものである。記録だけではなく国民をいかに熱狂させたかである。大鵬の故納谷氏に続き「出し過ぎでは」という人もいるが、国民栄誉賞のインフレ化ではないがアベノミクスの一環だと言った方がわかりやすいかもしれない。


 それはさておき、長嶋と松井の国民栄誉賞たる実績を考えてみよう。記録では他の選手もというが、そもそも長嶋は日本でプロ野球をメジャープロスポーツに押し上げた人物である。そのきっかけとなったのが昭和34年の「天覧試合」であり、サヨナラホームランの瞬間には総立ちの観衆とともに、思わず貴賓席から身を乗り出しているように見える昭和天皇の姿があった。戦後の記憶からまだ覚めやらぬ日本で庶民天皇陛下と一体になって感動した瞬間でもあった。それを演出した人物だからこそ国民的ヒーローになっていったのだろう。チャンスに絶対的に強い、今でいう天性の「クラッチヒッター」であり、1つ1つのパフォーマンスも注目されるようになった。その時代から以後、野球少年ならずとも長嶋は憧れの存在になり、当時のテレビの普及が全国的にそれを広めたのである。パフォーマンスは天性でもあるが実際には多くはプロとしての計算ずくのものであったという。戦後世代のプロ野球選手にとってはもちろん、あのサッカーのカズでさえ少年時代には「サッカーの長嶋茂雄になる」と言っていたそうである。


 さて松井は長嶋監督の晩年に、息子の一茂を含む他の巨人選手の中で、えこ贔屓以上に自ら育てた最後の弟子だったろう。連日のように自宅に呼ばれマンツーマンで徹底的に指導を受けた。長嶋監督の指導といえば、昔から理論ではなく感性に訴えるもので「ビュッと来たボールをバーンと打つ」みたいに言われて周囲からは苦笑されていた。並の選手ではおそらく理解できないものだろう。天才は天才を知るで多くの言葉はいらないのだろう。長嶋監督は松井の素振りの音で調子がわかったという。松井のメジャーリーグでの専属広報を務めた広岡氏によると、松井がヤンキースで「ゴロキング」と揶揄されて不調だった時期にJFK空港に到着した長嶋監督は即座に広岡氏に連絡し、長嶋監督の滞在する高級ホテルの部屋の中で松井に素振りをさせたという。広岡氏はその光景を目の当たりにして「息を飲むことすらできない」ほどだったという。そのことを当時のトーリ監督に話すと、それだけの師弟関係をうらやましがっていたという。しかし単なるスパルタ教育でなく、亡き長嶋夫人が自宅での練習を終えた松井に、いつも手料理の昼食をふるまってくれるなど家族ぐるみで松井をバックアップしたことで、師弟のきづなはいっそう深まったといえる。松井の引退会見で現役時代の一番の思い出を聞かれたときに、MVPでもホームランでもなく「長嶋監督と素振りしたこと」を挙げたのはそれを物語っている。


 松井は巨人時代はともかく、メジャーリーグではMVPは別として打撃タイトルや特別な記録を作ったわけではない。しかしヤンキースで主軸を努め、時の小泉首相が日米首脳会談の折、ヤンキースタジアムを訪問し始球式に登場したときに松井はそのキャッチャー役を務めている。その時はちょうど松井が4番をまかされていたので、小泉首相は「日本人選手がヤンキースの4番を務めるようになったなんて凄い」と喜んでいた。当時小泉首相の側近だった安倍首相にも思うところがあったと推察される。それは日米関係だろう。松井は日本だけでなくヤンキースでの活躍によりニューヨーク市民にも受け入れられる選手になった。民主党政権で損なわれた日米関係を修復する上で、松井の存在は日米の架け橋の象徴としてありがたいものかもしれない。


 国民栄誉賞はもともと福田赳夫元首相時代に創設されたものであり、その福田派の流れで福田(王に授与)→安倍晋太郎(長嶋と交流)→森(松井の後援会名誉会長)→小泉(ヤンキースタジアム訪問)→安倍晋三(長嶋・松井に授与)となれば、受賞の背景にも頷けるのではないだろうか。