猪木が日本維新の会から参議院選出馬

 アントニオ猪木が70歳にして、日本維新の会から参議院選に出馬、18年ぶりの国政復帰を目指すことになった。「維新」といったら長州力だろうが、というツッコミはともかく、長年の猪木ファンとして言いたいことは山ほどあるが、その一部だけにとどめておこう。

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 維新の会には特別に関心があるわけではないが、なぜ一市長の発言や一挙手一投足をあれほどマスコミが大袈裟に取り上げるのか不思議で仕方がない。小沢一郎などとは逆の意味での持ち上げ方であった。それが最近になって今度は発言に対しての批判をして、それが海外にまで伝わって物議を醸し、今度は維新の会の支持率急落などと騒ぎ立てている。あれほどマスコミにとっては話題を提供してくれているのだから擁護の論調になってもよさそうなものだ。維新の会の支持率が低下していると騒ぐが、だとしても国民の誰が困るというのだろうか。困るのはマスコミだけではないか。


 そしてその話題逸らしか救世主になるかで、参議院選の目玉候補としての猪木登場というわけである。まさかこれまで接点がなかった石原氏がこれほど猪木を持ち上げるとは思わなかった(共通項といえば都知事選候補くらいか)。当然のことながら、猪木擁立というだけでまたすぐに批判する人は多くいる。しかし猪木や猪木ファンにとっては「どうってことねえや」である。猪木にとっては批判や組織の中の内紛など、いつものことだからである。そんなトンデモの猪木なのに、時代が移っても支持して神輿を担ごうという人が現れるのだから不思議なものである。


 猪木と政治といえば、もう20年以上前にもなった「スポーツ平和党」である。1人で100万票近くも獲得して当選したのだから並のタレント候補ではない。そして湾岸戦争前のイラクの日本人人質事件のときのイラク行きである。外務省の制止を振り切ってのイラク入国だったが、その時も知らない人からは「売名行為」だ「猪木に何ができる」という批判ばかりだった。命の危険すらあるイラク行きに他の政治家は誰も人質解放に突破口を開こうとはしなかった。猪木の行為は無謀にしか見えなかっただろう。


 危険もあったことは確かだが、当時のプロレス関係者は「猪木さんはそういう状況を何度もくぐり抜けてきましたから、今回も大丈夫ですよ」とあっけらかんとしたものだった。それには裏付けがあった。猪木はかつてパキスタンでの格闘技戦でイスラムの英雄アクラム・ペールワンの腕をへし折って勝利し、イスラムでは英雄とされていたのである。猪木の勝利に会場は殺気立ったが、猪木が勝利のポーズで両手を上げたことがアラーの神への祈りと思われて称賛に変わったというウソのような伝説もある。だからイラクを含むイスラム圏では猪木の名は知れ渡っていたのである。そして猪木のイラク渡航に飛行機を出したのが、やはりイスラム圏のトルコであった。それが決まってトルコ大使と猪木が握手していた写真に一緒に写っていたのが、力道山時代からレフェリーを努め猪木の新日本プロレス設立にも協力したユセフ・トルコだった。猪木とはケンカ別れをし、最近でも「猪木をプロレス界から抹殺する」などと息巻いているユセフ・トルコだが、おそらくトルコ大使館との交渉に協力したのだろう。いざ猪木立つという時には背後でバックアップする人脈があるのだと、その写真を見て思ったものである。


 それから猪木が北朝鮮と関係があるのがけしからんという批判もある。それは猪木の師匠の力道山北朝鮮出身であり、その妹が北朝鮮高官の夫人となっており、力道山の死後、猪木が所持していた力道山の遺品を夫人に返還したことから関係ができ、1995年の平壌での平和の祭典に繋がったのである。日本で成功した力道山は当然ながら北朝鮮でも英雄であり、その弟子の猪木に対しては好意的であるには違いない。それはまだ日本人拉致問題が明るみになっていない時代のことであった。


 さてもし国政復帰できたとしたら、猪木に憲法改正だ消費税だと、国内問題のあれこれを問うても仕方がないだろう。70歳の猪木に対して期待するとしたら、独自のパイプで拉致問題の突破口を開くことをミッションにすればよいだろう。ちょうどイラクの人質事件に立ち向かったときのように。採決の数合わせだけの無能な議員などよりも、清濁併せ持った猪木の方がよほど何かしてくれそうだという期待が持てる。「思い立ったら走り出せ」の行動力にである。それは維新の会だの会派だのを超えた次元のことである。