NECに続きパナソニックもスマホ撤退

 NECに続きパナソニックスマホからの撤退は、国内的不況が長引いてきたこともあるとはいえ、ドコモのiPhoneに対するこれまでの戦略の失敗のツケを払わされた格好である。「ガラケー」と一般の人にまで揶揄されるようになってしまった、かつての携帯電話時代はいったい何だったのだろうか。

ドコモの「ツートップ」「iPhone」が引導 パナソニック、個人向け..(ITmedia)
「ツートップ」打撃 NECスマホ撤退 世界戦略後手で苦境に立つ“日の丸陣営”(8.1)

 何度かここでも書いてきたが、もともと「ガラパゴス携帯」の言葉は世界標準に追い付けないことを皮肉られる言葉ではなく、むしろ日本独自の技術的発展を遂げた携帯電話のプライドを示す言葉だったはずである。海外の携帯電話が、ただ通話とSMSくらいできればいいという発想だったのに対していち早くi-modeのようにインターネット接続可能になり、カメラだおサイフだQRコードだ、やれ動画だ、さらにはワンセグだなどと、これでもかとばかり高機能が満載された世界にも類を見ないハードウェアだったのである。それは文化の違いというべきもので、回線の違いもあるとはいえ、世界には進出できない理由でもあった。


 ところがiPhoneに始まるスマートフォンへの流れが世界に起きてくると、これが鎖国を続けてきた国に黒船が来航したように外圧となり、独自に発展していた文化が衰退していく図式にも見える。江戸幕府(ドコモ)は外国との交渉を誤り、薩摩・長州(ソフトバンクKDDI)は幕府打倒のために外国から新式の武器(iPhone)をいち早く調達することになった。ドコモは幕府のように消滅はしないだろうが、トップや経営陣がお役所体質過ぎて、とてもモバイルやネットの激しい動きに付いていけるとは思えない。ついには江戸城開城(iPhone導入)をせざるをえなくなってしまったのだが、もう少し早くから国内を大事にするやり方はあっただろうにと思える。もちろん薩摩や長州もそのままで世界に通用するとも思えない。


 いずれにしても外国との交渉の失敗、国の方針を示せないツケが、会津藩のような立場の国内の端末メーカーや庶民には通信料の事実上の値上げのような形で押し付けられたわけである。昨日までの忠臣がいつのまにか賊軍扱いにされているかのようである。ちょっと強引な例えだったかもしれないが、見ていても税金だけは取られる庶民からすればイライラするばかりである。ちなみにドコモユーザである自分の現在でも使っているガラケーNEC製である。