「あまちゃん」終了(その1)

 大人気だったNHK朝ドラの「あまちゃん」が終了した。ネットの中でも多くの話題になっていた。ドラマの中には多くのネタが満載で、とても一人では理解しきれるものではない。特に芸能界ネタについては知っているかどうか、またドラマの背景になっている1980年代のことは視聴者の年代にもよってくる。多くの「分析」はあるだろうが、自分が印象に残ったドラマの背景を挙げてみよう。


 最終週は薬師丸ひろ子にやられた。薬師丸演じる鈴鹿ひろ美は「大女優」だが「音痴」で、歌う場面には出ないという設定で、結果的にはこの事実がドラマのキーになっていった。それが主人公アキの母・春子が歌声の影武者になったことから運命が変わり25年後のドラマとなっていくというものだった。至る所で音痴だとされ、ドラマの中とはいえ、角川映画の主題歌を歌ってきた薬師丸に対して随分な扱いなものだと苦笑させられた。薬師丸自身、このドラマで求められる「大女優」とは何かと考えさせられたのだという。


 そして事実上のクライマックスとなった、復興チャリティコンサートで鈴鹿ひろ美が「潮騒のメモリー」を歌う場面は、ドラマの背景をすべて凝縮しそれを溶解させるようなものだった。まるで映画のストーリーのシーンを次々に連想させる映画の主題歌を歌っているかのようだった。角川映画時代の薬師丸のポジションそのものだった。このドラマの主演は実は薬師丸だったのではとさえ思わせるものだった。まさに「大女優」の面目躍如の姿を魅せつけた瞬間だった。NHK演出スタッフにも鳥肌が立ったと言わしめている。いかに脚本が優れていても、これは薬師丸でなければここまで昇華させた表現はできなかっただろう。

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 ドラマの画面を見ればすぐに気がつくが、大友良英バンドをバックにしたライブ歌唱である。つまり待ったなしの一発勝負である。セットは東京のスタジオでも、北三陸という設定でエキストラにはわざわざ東京在住の久慈市や東北出身者を集めたのだという。ドラマで出てくる鈴鹿の言葉の通り、このシーンに賭ける薬師丸の「気持ちを作る」ための演出だったのだろう。ただ歌がうまいだの歌詞がよいとかだけではなく、それを超えて被災地にも伝わる感動する「何か」を生み出したと思える。ドラマの中で「プロだなあ」の言葉は薬師丸の大女優としての意識を讃えたことと、「あまちゃん(アマチュア、甘え)」を対比した言葉のようにも聞こえた。


 「あまちゃん」は、新人女優の主人公を周囲の脇役が無理やり持ち上げるような、ありがちな展開でなかったところがかえってよかったように思える。実は主役級の出演者が多くいて、主人公は場面を掻き回すだけだが、主役級がしっかりとストーリーをまとめ上げるような展開に見えた。その意味では前半の主役は小泉今日子、後半の主役は薬師丸ひろ子、全体を通しての主役は宮本信子のようだった。主役級の絡みでは、自分は特に薬師丸の鈴鹿と宮本の夏ばっぱの場面が好きだった。なぜかドラマの初対面のシーンからお互い信頼し合っているように見えて、安心して見ていられるからである。「アイコンタクト」という言葉が出てきたが、まさにアイコンタクトで相手の実力を理解し切っているような表情にも見えた。本人役の橋幸夫を挟んでの傑作シーンとその後に夏ばっぱが鈴鹿にお礼を言うシーン、そしてリサイタルで鈴鹿が歌うのを聴き入る夏ばっぱの菩薩のような表情のシーンが印象に残った。ドラマの中だけでなく、実際同じ映画出身の「大女優」同士の信頼があるのだろうと思えた。片や角川映画の、片や伊丹映画の看板女優だったわけだから。