SNSは空気のような存在になる

 Webで形成されたソーシャルネットワークは、いずれ空気のような存在になる。という予測があるが、ちょっと難しそうな話である。電子メールはいずれ廃れるとしたら、それに代わるものといえば、SNSの発展形であろうということは何となく見えてはきそうだ。しかしSNSというシステム、デジタルをSNSを手段として形成されたソーシャルネットワークが、社会の中でどう推移していくかは未だによくわからないと言えるだろう。

ソーシャルネットワークは「空気のような存在」へ(CNET Japan)

 SNSではない従来のデジタルのソーシャルネットワークには、個人でいえばメールのアドレス帳とか年賀状の住所録、同窓会の名簿録みたいなものもある。ネット上では自分が登録しているようなサービス全体も入るかもしれない。これまではこれらを独立に分類して使い分けていたようなものだが、ソーシャルネットワークが進むと、これらを有機的に組み替えたり相互乗り入れみたいにすることが容易にできるようになるかもしれない。最近でいえば、SNSのエンジンの共通化や、OpenIDの普及がそのベースになってくるかもしれない。


 個人レベルでは、あまり大掛かりなことはイメージしにくいが、仕事の上ではデータベースの組み合わせから必要な集合を動的に生成したり格納したりすることにより、業務の合理化やコミュニケーションの新たな側面を生み出していくことができるかもしれない。たとえば1つのグループの中のSNSの中にも、広告と似たように関連情報が次々に自動的に刷り込むことができるようになり、メールの時のように相手の言葉尻についてだけ、ああだこうだとやりとりするよりも、はるかにリッチな情報を背景として議論できるようになるということである。情報は初めから共有されているものであるから、コピーやダウンロードしたり、URLをわざわざ送ったりするような手間は必要がない。SNSというか、もっと一般的な意味でのソーシャルネットワークにアクセスすれば、たいがいのことは実現できてしまうであろうし、逆にないと仕事にならなくなるかもしれない。


 企業や組織内のシステムでは、わりと目的が絞りやすいのでSNSは進化していくだろうが、問題はどれだけ一般社会に受け入れられるかであろう。これはデジタル世界の中での人間社会の形成と同じようなものである。顧客となっている企業の中へのソーシャルネットに入ることになるだろうし、地域社会のソーシャルネットに自動的に組み込まれることにもなるかもしれない。ただ個人情報やプライバシ、人間社会の中での信頼性など、技術ではない問題が非常に大きいだろう。


 国内では、何年か前に問題になった住基ネットなどは、まさにソーシャルネットワークのベースになる部分の問題である。OpenIDなどを考えれば、実は住基ネットでやろうとしたことそのものではないかという気もしてくる。だから、やはりこれは技術だけの問題を超えている。ネットの進歩が速すぎるので、社会がその変化に適応して成熟してくるのを待つ必要があるのかもしれない。