高橋尚子、五輪代表選考マラソンで敗退

 やはり高橋尚子北京五輪には届かなかった。五輪代表選考レースである名古屋国際女子マラソンで期待されたものの、レース序盤から脱落し27位に終わり、完全に五輪代表の可能性はなくなってしまった。4年に1度しかない五輪の年に、選手としてコンディションのピークを持ってくるのは容易なことではないが、これだけ話題を引っ張ってきた人だけに散り際としては、やや寂しいものが残る。

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 レース後に昨年夏に、膝半月版の手術を行っていたことが明かされた。期間的にいってもベストの状態で間に合う期間ではなかっただろう。しかし、手術をしなければどうにもならない状況でもあったのだろう。ギリギリ最後の選考レースである今回のマラソンに賭けたということなのだろう。普通に考えてやはり無理だったようだ。いかにレースの経験があろうとも、それ以前の問題であったようだ。


 思えば2000年のシドニー五輪で日本人女子陸上選手として、史上初の金メダルを獲得してからは怪我や故障だらけだった。スポーツ選手も30歳を過ぎるとそれまでの金属疲労が出てくるのか、なかなか故障から復帰することが難しくなってくる。野球でいえば今の松井などもそうだ。高橋の場合も、ライバルよりも怪我が最大の敵だったようである。


 それでも考えてみれば2000年から8年間も、女子マラソンでは必ずこの人が話題を引っ張り続けてきたといえる。しかし現実的な五輪出場となると長嶋監督みたいなもので、いずれ復帰するぞと引っ張り続けて、結局復帰はならなかったことに似たところもある。マスコミとしては話題となる高橋を、いつまでも五輪代表候補としておく方がメリットがあったということだろう。実際、野口みずきとの金メダリスト対決を期待した人たちも多かっただろうが、実現するには至らなかった。


 最初は自分が好きで始めたことでも、五輪のように国民の期待まで背負ってしまう立場になると、簡単に引くに引けない立場にもなるのだろう。金メダルを獲得した直後に引退をしていればきれいな引き際だったかもしれないが、ボロボロになるまで続けるのもその人の生き方といえるかもしれない。ただ結果論にはなるが、あの小出監督から離れたのはどうだったのかという気もする。見かけはただの酔っ払いのおじさんのようだが、なかなか選手のコンディションも一目で見抜くなど、名伯楽の監督だった。もし引き続いて監督の元でトレーニングを積んでいれば、これほど怪我に苦しむこともなく、別の展開もあったかもしれない。今後は五輪は無理でも、まだ選手生活は続けるという。自分なりに納得するまでの時間がほしいのだろう。