なぜ本は売れないのか

 新聞も売れなくなったが、雑誌や本も売れなくなったと言われる。IT関連の本も多く休刊を余儀なくされている。紙メディア全体が衰退に向かっているともとれるが、一般の本の場合にはその流通のしくみにも問題がありそうである。

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 売れないという反面、新刊本は増え続けているようである。その結果、キャパシティの限られている書店に並ぶ本の種類と数や陳列期間が限られてくるという。その結果、ベストセラーランキング入りの本以外は返本の山が増えることになるという。返本のサイクルも早くなっているせいで、本当に読者が欲しい本や、手にとってながめてみたい本があっても、その機会がどんどん失われているようだ。「新刊本 ちょっと売れなきゃ タダのゴミ」というわけだろうか。せめてもの救いはリサイクル率だけは高いことだという。


 人間文化の中で本が不要になるということはないだろうが、その形式や流通形態は変貌していくことは避けられないだろう。今のようなデジタル時代になってみれば、印刷された紙の情報はアナログ的な情報といえるだろう。コストをかけて紙を消費して印刷するような手間をかけずとも情報を伝える観点からすれば無駄も多いことは確かである。ただ、長年、紙の本というものが世の中に定着して、制度化もされているから、容易にその形態を変えるというわけにもいかないのだろう。古い世代にとっては、紙の本を手にするということだけでも、愛着があるものである。しかし、情報伝達という観点では紙に印刷する必要はない時代になっているといえる。本のイメージだけならPDF文書を配布すれば済むようなものである。それどころか動画を含むマルチメディア化さえ可能である。


 ところで書籍を販売するという形式のため、PDF文書だと容易にコピーできてしまうことから、販売が成り立たないことになってしまうのだろう。音楽やゲームソフトを販売するのと似たような状況になる。それでも新刊本の多くが読者の目に触れる前に廃刊書になってしまうのなら、書店に並ばないPDF文書だけの本というものは、販売制度は別としても一般化してもよいことだろう。それで売れる本だったら、改めて紙の本も作ってもよいかもしれない(受注販売でもいいかもしれない)。逆に言えば、デジタル化によって、自費出版ではないが、誰でも本を出版するのが容易になったともいえる。ブログなどで情報発信の敷居が低くなったのと同様である。コストもかからない。だから書籍もまずデジタル本を出して(小出しにプレビュー版でもよいかもしれない)読者を募ってから正式本(PDF版か紙本)を作ればよいかもしれない。少なくとも紙に印刷してしまってから、誰の目にもふれないうちにゴミとして処理される無駄はなくなるだろう。


 残るは書籍の販売制度と書店の役割である。少なくともデジタル本になったら古本でなくとも、オープン価格での書籍販売を許可するべきだろう。スーパーの生ものではないが、売れずに捨てるくらいなら、値引きしてでも売った方がましだろう。あるジャンルの本の安売りフェアとかローテーションさせれば、それなりに書店も活気づくかもしれない。決して本が不要になったのではないことは、Amazonなどがロングテールで利益を上げていることを見れば明らかである。ただ地方の小書店が独自でこれに対抗するようなロングテールを維持することは難しいだろう。自分も近年は、地元の書店で買う本は、ほとんど読み捨て本ばかりで、長期に保管するような本はAmazon楽天などですっかりネットから購入するようになってしまった。もはや書店で取り寄せ注文とか、本を探して書店回りなどする発想はなくなってしまった。まあ、古本屋めぐりなら、それなりに風情があるかもしれないが、そんなことももう10年以上はしていないような気がする。


 古本といえば、今世界で問題になっているGoogleブック検索である。新刊本はともかく、絶版になっている本や入手困難な本を容易に見つけ出すことができるのは、人間文化にとっては大きな進歩であると思える。ただ利権が絡む話なので、逆に制約が大きくなってしまうとしたら残念なことではある。