大相撲春場所中止が決定

 とうとう前代未聞の大相撲本場所中止となってしまった。世の中では、いわば隠語だったはずの「八百長」という言葉が当たり前のようにニュースでも報じられている。相撲協会そのものの対応よりも、そちらの方が何か不愉快な感じがする。今回の件は、これまでの一連の「不祥事」とは異質のものであるような気がする。

春場所中止を決定 65年ぶり本場所取りやめ(SANSPO.COM)
理事長、春場所中止に「謝っても謝りきれない」
デーモン閣下「もう土俵際を通り越した」
石原都知事「昔から当たり前」/大相撲

 そもそも今回の件は、野球賭博の「不祥事」を捜査していた警察から携帯メールの内容が「リーク」されたことによる。警察からすれば、日本相撲協会は「公益法人」であるから、その「公益」に関わることではないかということらしい。ただし、警察にとっては犯罪に当たることではない。本来犯罪の捜査情報であれば公開はしないはずだからである。


 その情報にマスコミばかりでなく、監督官庁である文部科学省が「八百長」が「国技」の公益にもとるとして、公益法人取消しの可能性に言及して騒ぎが大きくなった。それに公共放送のNHKの中継まで絡む。マスコミや週刊誌だけだったら、また、いつものスキャンダルであったろうが、文部科学省に最後通告をされたために、本場所すら中止にせざるを得なくなったわけだ。新弟子リンチ死事件、大麻事件、野球賭博事件の犯罪のときは「個人の問題」として、実質本場所開催には影響がなかったにも拘わらずである。それは「土俵外」のことで、今回は「土俵の中」のことだからだそうだが、何か釈然としない。明らかな刑事犯罪の方が、よほど公益を損ねているだろう。しかし八百長は別に犯罪ではない。ただの倫理的問題である。政治家すら批判の発言をしているが、民主党批判への関心をそらすために大相撲をスケープゴートにしているのではないか、という穿った見方さえある。今から見れば、朝青龍横綱品格問題が一番冗談に思える。


 自分の八百長に対する考えは2年前くらいに書いた通りだが、あまり免疫のない人達にとっては重大な問題なのかもしれない。あるいはセンセーショナルに騒ぎ立てるマスコミに毒されているのかもしれない。あまり物言いが好きではないが、この件に関しては石原都知事の発言にほぼ賛同する。倫理的問題とすれば、勝敗よりも内輪で金の貸し借りで星を動かしていた点であろう。いわゆる「注射」というやつである。


 勝敗や技の掛け合いだけならは、プロであれば阿吽の呼吸でできる。これを「暗黙の了解」「お約束」という。それはそうだろう、毎日長時間、顔見知りの相手と稽古をしているわけだから、お互い組み合った瞬間、対戦の流れは作れるはずである。いわゆる「無気力相撲」は力士が下手なだけである。昔のプロレスの試合で若手同士がそんな無気力の試合をしていたら、試合中にも拘わらず、猪木とか鬼軍曹の故・山本小鉄が竹刀を持ってリングに上がりメッタ打ちにされたものである(笑)。「客にそんな試合を見せられるものではない」というわけである。仮に勝敗が決まっていたとしても、楽な試合ができるわけではない。客を満足させつつ、試合と勝敗を作るのである。つまり客の目との真剣勝負をしているわけである。携帯メールでやりとりしていた力士は、金のことと番付の地位にばかり関心がいき、プロとしては下手だったとしか思えない。


 とはいえ、大相撲八百長が世間の公認となってしまった。経営的な事情はともかく、別に公益法人である必要はないし、伝統芸能みたいなものだからスポーツである必要もないと思う。歴史があるのは確かだが、外国人力士全盛の現在、本当に「国技」と言えるのかどうかも疑わしい。さて八百長の烙印が押されてしまった感がある大相撲は、今後どこへ向かうのだろうか。