「あまちゃん」終了(その2)

 ドラマの中ではフィクションではない現実のものも多く取り入れられていた。むしろドラマのおかげで広く知れ渡るようになったこともあると思われる。気がついた「事実」を挙げておこう。


 ドラマの最後で突然、琥珀の採掘現場から恐竜の骨を発見した話が出てくる。これは全くの事実だが、これが判明したのは今年の3/29のことであり「あまちゃん」はまだ放映開始前で撮影も半分以上は進んでいた中での出来事だったと思われる。琥珀に関連してしきりに8500万年前が強調されていたが、最後に急遽これに繋げる伏線だったのだろう。

岩手・中1生発見の「指の骨」化石、8500万年前の肉食恐竜だった(msn産経 3.29)


 また主人公アキとテレビ番組で共演し「じぇじぇじぇ」と「ギョギョギョ」で掛け合い、震災で壊滅した水族館の復旧に貢献するというさかなクンも、久慈市の復興に貢献してきたのはあまちゃんの制作が発表されるよりも以前からの事実であった。ご自身のドラマ出演そのものも復興支援の一環になると考えていたのだろう。

さかなクン 岩手・久慈市の水族館再開に協力(Sponichi 2011.9.12)


 震災発生時、三陸鉄道の列車の1本はトンネル内で緊急停車した。周囲とは全く連絡が取れない状況でトンネルの外がどうなっているのか見当が付かない中、運転士は乗客を誘導してトンネル内からの脱出を決断する。いつもは騒がしくて間抜けているような駅長の大吉が、この時ばかりは冷静な判断を見せるシーンである。大吉がこの鉄道は電車でなくディーゼル車であることを嘆くシーンが以前にあったがディーゼル車だったからこそ停電せずにトンネル内で一時過ごすことができたという伏線であった。実際のご本人の証言は生々しい。

証言3・11:東日本大震災 三陸鉄道南リアス線運転士,乗客励まし誘導(毎日jp)


 そして南部ダイバーである。これは久慈市の隣の洋野町(旧・種市町)に実在する。かつては公共事業の港湾工事が盛んだった頃、人数も多かったらしい。明治の時代に当地にやってきた潜水夫からの技術が伝承され引き継がれてきたものだという。その当時までは海女のように素潜りしかできなかったのが、これにより三陸の海底での複雑な作業も可能になったということである。震災復興のための瓦礫撤去に南部ダイバーがボランティアで活躍したのも事実である。始祖は磯崎定吉という人だという。「いっそん」こと磯野先生の名前は磯崎の「磯」と洋野町の「野」から取ったものだろう。まあ、サザエさんにも掛けているかもしれないが。種市先輩は種市町から名前そのままである。種市高校・海洋開発科がドラマのモデルにもなった。そして現在でもアキのような女性潜水士を目指す生徒もいるそうである。

「あまちゃん」の舞台、南部潜り(msn産経 Sankei Photo)


 そしてその「南部ダイバーの歌」である。あまちゃんの中で「潮騒のメモリー」や「地元に帰ろう」などドラマのために作曲された曲は多いので、多くの視聴者はこれもその1つだと思っていたかもしれない。濃いキャラクターのいっそんが登場して「もっとこい、もっとこいよ」で南部ダイバーの歌を生徒が熱唱するシーンは笑いとともに、かなりのインパクトを与えた。しかしこの曲を冷静に聞いてみると、よく甲子園で流されるような高校の校歌などとは違う「何か」を感じさせるものだった。それもそのはず、この曲は昭和30年代に流行した「北上夜曲」(和田弘とマヒナスターズ、ダークダックスなどがカバー)で知られる作曲家・安藤睦夫氏(旧・種市町出身)が寄贈した歌だったのである。安藤氏は6年ほど前に他界しているというが、歌手を売り出すための歌ではなく、純粋に郷里のために寄贈した歌が、半世紀近くを経てこうした形で注目されたことを知ったらどう思ったことだろうか。ドラマで注目されたために、洋野町が公式にこの曲を公開している。まさに昭和を感じさせる「名曲」だった。



【南部もぐり】南部ダイバーの歌 フルバージョン


この動画の2分あたりに出てくる、若き日の高倉健かと思ってしまう方が磯崎定吉の子孫に当たる方のようである。


 あまちゃんは北限の海女ばかりでなく、琥珀もそうだが地元の人にとっては当たり前のものであっても、多くのものを発掘してドラマにも活かして、世に知らしめた効果があったようである。