松井大爆発!悲願のワールドシリーズ制覇

 やはり松井はそういう星の下に生まれていた。渡米してヤンキースに移籍して7年、ついに頂点に登り詰めた。それも最終戦で打棒爆発、大一番に強いスラッガーとしての存在感を存分に見せつけて、メジャーリーグの歴史にもその名を残したといえるだろう。

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2009年ワールドシリーズ 試合速報 2009/11/04(水)
TV, radio calls: Matsui's homer(MLB.com)

 ヤンキース7得点のうち6打点を1人で叩き出した。2ラン、2打点打、2塁打2打点の大活躍であった。ワールドシリーズでの1試合6打点はメジャータイ記録だという。もう最後は1試合3本くらいホームランを打ってほしいと冗談半分くらいに思っていたが、ほとんどそれに近い活躍だったのだから、結果を知ったときは大きな驚きだった。


 今年は守備に就けず、DH固定だっただけに今季限りでヤンキースとの契約切れの話題ばかりが先行した。だが、そんなことより今の結果を出すことだった。先はそれから考えればよいことであった。シーズン中も後半になるほど調子を上げてきたが、ワールドシリーズの最後に最高の働きをした。大舞台でこそ活躍できるのが、真のプロ中のプロだったといえるだろう。そしてそれが多くの人々に勇気と感動とを与えてくれるものだ。松井がヤンキース1年目のときは特に、毎日駅売り夕刊紙の1面の見出しが気になり、「松井○○号」の文字が躍ったりなかったりのたびに一喜一憂したものだった。


 「そういう星の下に生まれている人なんですね」とは、松井がヤンキースタジアムでのデビュー戦で満塁本塁打を打ったときの元巨人の仁志の言葉である。同じプロでも、持っているもののスケールが違うというものが感じられるということだったのだろう。日本人メジャーリーガーは増えたが、やっぱりその中でもイチロー、松井は一際異なるものを持っているようである。


 自分にとっては、松井には必ずや大一番ではチャンスが訪れ、結果を出してくれるだろうという確信に近い期待は、松井が長嶋氏の最後の直接の弟子だと思うからである。なぜ長嶋氏が国民的ヒーローでありえたかといえば、大一番でこそ力を発揮した選手だったからである。九回裏2死満塁とか、日本シリーズなどでの切迫した場面でこそ真骨頂を発揮したからである。そのシーンが当時普及を始めたテレビで興奮させる場面となり、それが野球を一気に国内でメジャースポーツに押し上げる原動力となったからである。「記録より記憶に残る選手」「ミスタープロ野球」という呼び名はこうしたことからきていた。


 その長嶋氏が松井のプロ入り時、自らそのドラフトの運命のクジを引いたことに始まる。長嶋氏といえば才能を見抜いた選手とそうでない選手を徹底してえこひいきをする人でもある。プロとしては当然のことなのだろう。なんと松井は監督と選手の関係だけでなく、連日午前中から長嶋邸に通い、打撃の個人指導まで受けていたというのである。そして長嶋氏の亡き夫人からいつも昼食までごちそうになって、それから東京ドームにチームの練習に出向いていたのである。長嶋氏からすれば「巨人の4番打者を育てる」という熱烈な思いの指導だったのだろうが、技術面は当然としても、それ以上に長嶋氏から松井に伝承されたのは、まさに大一番に平常心で必ず結果を出してこそプロという精神ではなかったかと思いたい。松井はそうした「星の下に生まれた」才能を持っていることを、長嶋氏は「動物的勘」で早くから見抜いていたからこそ、ひいきして松井に入れ込んだのだろう。巨人からメジャーに渡って7年、いろいろな挫折もあったが、ついに頂点を極めた。長嶋氏が「涙が出るほど嬉しい」と語った背景は、松井が自分の「ミスタープロ野球」の後継者の存在という特別な確信があったからこそなのだろう。