Oracleは「悪の枢軸」の批判

 Adobe幹部が、このところのOracleの横暴さを批判している。Adobeとの直接的トラブルはないはずだが、オープンソースに対するOracleの態度は目に余るようである。「悪の枢軸」とは、どこぞのテロ支援国家のような言い方である。

Oracleは「悪の枢軸」―Adobe幹部が批判(ITmedia)

 かつてMicrosoftが次々にライバルを潰して独占をはかっていた頃、その独占に対抗しうるとしたのが「ネットワークコンピュータ」構想であった。Javaを今でいうところのWebOSにし、Webサービスにすることによって、ネットワーククライアント側のコスト削減を図るというものだった。Sunとともにそれを主導し、Microsoft批判の急先鋒だったのがOracleのラリー・エリソンだった。「Microsoftがいないコンピュータの明るい未来」を公言してはばからかったものだ。当時はMicrosoftの独占とライセンスの縛りに嫌気がさしていて、Javaに可能性を感じていた時代だっただけに、この構想は応援したいと思ったものだ。


 そしてSunを買収した今となっては、Oracleオープンソースコミュニティに対して、かつてのMicrosoftのような横暴を繰り広げようとしている。一人のワンマン経営者ということもあるだろうが、Microsoftもそうだったように、つまるところオープンソースの本質を理解していないからではないかと思える。つまりかつてのMicrosoftにしろOracleにしろ、ソフトウェアに対する考え方が古いままなのではないか。


 ソフトウェアは特定の企業が独占するものであって、オープンソースコミュニティを認めることはあっても、それはそのソフトウェアの開発の下請けくらいの意識しかないのではないか。
 しかしLinux以後、ソフトウェアはオープンソースこそ高度化できるし、フィードバックも早いことから、開発のスピードも早いことを我々は既に知ってしまっている。そこが理解できずに、企業の権利ばかりを主張するに至っては、行き着く果てはSCOの二の舞となることだろう。