元横綱大鵬が死去

 元横綱大鵬が亡くなった。すでに引退から40年も過ぎて現役時代を知る人の方が少なくなっているが、優勝回数32回はいまだに破られない記録であり、歴代横綱の中でも最も偉大な大横綱だった。

元横綱大鵬の納谷幸喜氏が死去(nikkansports.com)
「巨人、大鵬、卵焼き」史上最多32度V
王会長「名を残す偉大な人」/納谷氏悼む
大鵬生んだ名門 二所ノ関部屋が消滅へ
元大鵬・納谷氏「寂しい、何とか再興を」

 「好きなもの、巨人、大鵬、卵焼き」は、日本が高度経済成長に向かいつつある時代の若者を表す象徴的な言葉だった。巨人は王、長嶋を擁してV9まっただ中の黄金時代、大鵬は常勝の全盛時代、そして子供が学校に持っていく弁当のおかずの一番の人気メニューは卵焼きだったという。現在のようにプロスポーツが多くあって人気が分散されている時代ではない。野球と相撲の人気の比重は相当なものだったと思われる。


 もう少し年齡がいっているかと思っていたが、72歳は王会長と全く同年代だったという。この時期にその後の大記録が語り継がれる人財が集中して出ていたことになる。だからそれが日本の高度経済成長時代のイメージに重なるのである。ちなみにこの時代はプロレス界もジャイアント馬場アントニオ猪木のBI砲を擁した全盛時代に向かっている。馬場や猪木も同世代なのである。だがプロレス的イメージとしては、大鵬は大相撲における偉大なチャンピオン、20世紀最強のルー・テーズに当たるだろう。


 大鵬親方としての晩年はけっして名前のように幸せとはいかなかった。自身が脳梗塞で倒れたこともあるが、部屋を継がせたはずだった娘婿の元貴闘力の大嶽親方が野球賭博騒動で解雇されたりと、思うように後継者たる大関横綱も作れなかった。そして最近では出身の名門の二所ノ関部屋が消滅することになって寂しい思いをしていたという。初代若乃花や日本のプロレスの始祖力道山大鵬の付き人だった天龍源一郎二所ノ関部屋出身であった。


 もう日本人では大鵬のような横綱は現れないかもしれない。今ではすっかりモンゴル相撲化してしまった。横綱白鵬も当初は大鵬柏戸の「柏鵬時代」から名前をとって「柏鵬」とするつもりだったが、それではあまりにも恐れ多いということで「白鵬」になったという逸話もある。また1つ昭和の大きな歴史が遠くに去っていったような気がする。合掌。