SNS疲れに「ソーシャルデトックス」

 あまり聞き慣れない言葉だが「デジタルデトックス」転じて「ソーシャルデトックス」が必要になってくるという。そろそろ「SNS症候群」が出てきているので、そのストレスに対するガス抜きも必要というわけである。

SNSに6割が不満-SNS疲れには「ソーシャルデトックス」が必要(CNET Japan)

 SNSといっても、TwitterFacebookばかりでなく、既存のWebサービスも多くはSNS化してきているので、それらを十把一絡げにしてSNSの一言で括ってしまうのもどうかと思える。問題は個人が日常的にどういうスタンスでSNSにアクセスしているかである。「暇つぶしに面白そうだから」と「業務でアドバンテージを得るために戦略的に活用」では全く違う。前者の方が気楽でストレスがなさそうだが、実際に症候群に陥るのはこちらであるようだ。明確な目的を持たない人ほどデトックスが必要になってきそうだ。


 世の中で流行しているものに乗らないと取り残された感じがして、なんとかそれに乗ろうとしてむしろストレスになったりする。「Facebookをやらないなんて人生を無駄にしている」などはその最たる言葉である。宗教の勧誘でも似たような言葉を聞いたことがある。そして今度はそれに縛られたような気持ちになっていく。


 これは何もSNSに始まったことではない。ネットが普及しだした頃にも「ネット依存症候群」があったし、ケータイだって常に持ち歩いていないと不安な気持ちになるようになった。もっと昔では自分も「電子メール」を使い始めたとき、便利である反面「これで今後は電子メールに縛られることになる」と嫌な感じがしたものだ。電子メールの初期の頃は依存症の人も居て、相手から返信が来なければ気が済まないので何度もメールを送り付けてくる。仕方がないので何か適当に返事をすると、今度はその1行1句にいちいち反論のレスを付けてくる。その文面を見ただけで「ああ、この人は」と察しがつくのでリアルで会って話すとき以外は、メールでは相手をしないようにする。「掲示板」も似たようなもので、症候群の人と「荒らし」が入り交ざってくると一般の人は寄り付かないようになり、ネットの掲示板は衰退していった。ほとんど唯一残っているのがあの「2ちゃんねる」だけである。ただ症候群の人と荒らし相手に対する耐性がないと、近づけないものであろう。


 Twitterなども1日に何10回とツイートしていた人も今は落ち着いて、目的に合ったことにだけ適度な頻度で利用するようになっただろう。Facebookは人との繋がりをどう考えるかだろう。やみくもに友達ばかり増やしても自分が何をしたいのかはっきりしてこないと、他人のマーケティングに利用されるだけになってしまうかもしれない。


 自分としてはFacebookのようなものには、実はあまりメッセージの交換には期待していない。知り合い・元同僚や協力者との情報の共有に役立つと考えるのである。かつて一緒に仕事をしたときに発生した情報、データなどをアーカイブのように共有しておく。どちらかがいずれ必要が生じた時にそのデータを掘り起こせばよい。年賀状とが時候の挨拶などは必要ない。広い意味のSNS的発想と「共有」が地理的・時間的隔たりを超えて役に立つ可能性があるとみている。