松井、やっと日米通算500号

 やっと日米通算500号を達成した。あと1本と迫ってから28試合目、103打席ぶりの1発だった。アスレチックスに移籍しての前半戦、ホームラン、打率ともに伸びずに、監督交代以前はスタメンから外れることも多く、戦力外危機とさえいわれることもあった。

松井7号!日米通算500本塁打達成(スポーツ報知)

 このまま、あと1本が出ないままにアスレチックスから去るのではないかとも思われたが、後半戦になってとりあえずは復調してきたようだ。それでもまだ打率2割台前半、ホームラン7本である。日米通算500号を機に、ホームランの打棒を復活させてほしい。


 さて日米通算とはいえ、500号に到達できる打者は、日米ともにそれほど多くはいない偉大な記録であることは確かである。国内でも多くの関係者からの達成へのメッセージが寄せられている。その中でも張本氏などは「遅すぎる」、野村監督は「ひざを痛めたせいか、フォームが小さくなったのは残念」、王会長は「ファンのためにも1本でも多く本塁打を」と、それぞれの人柄を表すコメントである。


 しかしやはり松井を育てた長嶋監督の言葉が一番深いように思われた。スポーツ報知の紙面に載っていたものを一部引用したい。

王さんや松井といった一発に生きがいを見いだした打者のスランプは深く、長い。(中略)2人が「飛ばしの原理」を取り戻すまでの間、ベンチ裏で何日も肩を落として苦しむ姿を今さらながら思い出す。ただ、誰よりも深刻に悩み抜いたからこそ、凡人にはマネのできない偉大な領域へ到達できたのだと思う。ホームランの記録は「懊悩(おうのう)の軌跡」と言い換えられるかもしれない。

 考えてみれば、長嶋監督王監督と松井の全く同じ年代の頃の姿を、同僚選手として監督として同じベンチからつぶさに見ているのである。それだけに思い入れが深く感じられる。もともと松井には「王さんの記録を抜けるのはお前しかいない」と厳しい練習を課してきたといい、その思いは今でも変わらないという。


 日米通算はどうかとか、日本に居たままだったらなどというのはどうでもいい議論で、長嶋監督の松井を「日本を代表する長距離打者へ育てることが球界人としての責務だ」としてきたというのは、ワールドシリーズMVPの活躍でほぼ達成されたと思っている。だがまだ通過点であって、これからも記録とともに、チームを押し上げる重要な場面での一発を期待していきたいものである。