三遊亭円楽引退

 長嶋監督と同じ病の脳梗塞で入院してから「笑点」の司会降板、本業の落語の高座も引退を決意したようだ。話せなくなったわけではないようだが、やはり落語のプロとしての噺ができなくなったという自覚からの引退らしい。スポーツ選手ではないが、自分のイメージしている動きができなくなったことと、精神的なモチベーションが保てなくなったことに限界を感じたということだろう。スポーツなら30代のところ、落語だから74歳だったという違いだけだろう。


 落語は、金もかからないし儲からない芸にも見える。高座といっても座布団に扇子と手ぬぐい1本だけの商売道具のわけだから、悪く言えば貧乏くさい。好きな人は好きなようだが、実際、生で落語を聴きに行く人は高齢化しているのではないだろうか。

 落語家の取る「笑い」というのは、自分にはいまひとつ理解できない。一人芝居でもなければ物語のナレーションでもなく、ただ独り言を言っているのに近い。それでいて客の笑いも取らなければならない。「噺」というのは突拍子もなくギャグを飛ばすというより、話の流れのうちに客と一体化して、ここは笑う所とか、じっと聞き入るところとか、取りと受けが決まっているようにも思える。その呼吸が理解できずに、一発ギャグだけを期待していると面白くないのだろう。だから子供とか、自分のような単純な人間には理解できないのかもしれない。


 近年、落語家もテレビタレントと大差がないような活動をしているせいか、なんだかよくわからなくなっているが、落語は漫才や演劇やテレビのお笑い芸人の笑いとは本来違う。やはり歌舞伎や能・狂言のような、形を重んじる日本の古典芸能の1つなのだろう。たとえれば、大相撲がスポーツと同じかどうかというようなものか。それでも円楽という人は、古臭い落語をかなり現代的にアレンジしてきた開拓者の一人だと言えるのかもしれない。