羽生、史上2人目の永世王将

 羽生善治王将が4−3でタイトルを防衛し、通算10期目の王将位獲得となり、規定により「永世王将」の称号を獲得した。将棋には現在正式タイトルは7つあり、そのうちの5つ目の永世称号を獲得したことになる。残る永世称号は「名人」と「竜王」のそれぞれ、あと1期となった。

羽生が防衛で2人目の永世王将

 羽生はかつて史上初の7タイトル独占制覇の偉業を成し遂げたが、どういうわけか、賞金が高い竜王、名人の防衛の割合が低く、あと1期とはいえ取り残している形になっている。羽生ファンとしてはもどかしいところだ。トッププロが心血を注ぐのは江戸時代から歴史の続く名人位で、永世名人の称号を持つ者が歴史にも名を残すことになるからだ。相撲の大横綱、野球の殿堂入り選手に相当するだろうか。

 ところが、最も権威のある名人戦規定は5期で永世名人である。挑戦者になるまでがプロ入りして最低5年勝ち続けなければならないシステムのせいもあるかもしれないが、7番勝負としては他のタイトルと同じである。それに対して、もともと名人戦に対抗して、戦後まもなく設立された王将戦は、10期10年間タイトルを保持して永世称号となる。どんな分野でも、10年間第一人者に居続けるというのは至難の業だ。それゆえ、羽生は34年ぶり、あの大山康晴十五世名人以来、やっと2人目だという。


 初代永世王将こそ大山だが、王将戦の歴史といえば、最も将棋指しらしい、記録より記憶に残る将棋指しだったといえる升田幸三である。「名人の上」を標榜する升田は、昔の王将戦で7番勝負で名人相手に3連勝して、規定により香落ち戦(駒落ちのハンディ)まで追い込んでいるのは歴史的エピソードになっている。ちなみに現在はこの規定は廃止されている。

 羽生が唯一将棋の内容で尊敬する棋士は、その升田だという。いわば将棋戦法を近代化した人物といってもよい。将棋戦法といえば、昔から型を重んじる傾向だったものを、升田は次々に新戦法、新手を編み出し、それを定着させた。一見、ヘボ将棋の手にも見える戦法に新しい構想と読みを加えて、新戦法にしたものも数多くある。今ではプロでも当たり前のように使う「穴熊戦法」なども、大山vs升田の名人戦の場で採用したのが先駆けだろう。それ以前にも、誰か(下町の熊さんとか)が指していたというのは、あまり意味がない。名人戦という最高の場で通用する戦法として生まれ変わらせたということである。この人の名言というものも多くあるが、1つだけ挙げれば「着眼大局着手小局」がある。


 時代は変わったが、歴史的に超人的な将棋の強さといえば、記録的にも大山と羽生で間違いないだろう。そして現在ではチェスを追って、将棋のソフトも急速にプロレベルに近づいてきている。羽生が当面負けることはないだろうが、プロ下位レベルはそろそろ怪しくなっている。単純な勝敗というよりも、コンピュータに対抗できるとしたら、升田のような構想力を持つ人間だけと思えるのだが、どうだろうか。