羽生が小学校で特別講師
あの羽生が将棋の伝統文化を伝えるために、小学校に講師として登場。1小学校のために羽生が出向くとは、もったいないという気がしないでもない。
将棋の羽生3冠が特別講師 小学校のクラブ活動で
将棋といえば羽生しか知らないという世間の人からすれば、話を聞いたり指導を受けたりするには、羽生以上の人は存在しない。将棋普及の象徴的な意味で田園調布の学校に行ったということなのだろうか。
昔は子供に将棋の指導といえば、柔道や剣道ではないが礼儀作法を学ぶということに重きを置いていたと思うが、羽生は今の時代らしく「コミュニケーションの一部」と言っている。
実際、娯楽やゲームがあふれている現代の子供に将棋を伝えるとしたら、どのような効果が期待できるのだろうか。
自分は子供の頃の将棋が、その後のコンピュータへの関心に繋がっていったような気がする。共通するのは「先の読み」である。将棋自体、実は盤や駒は全く必要なく、完全に符号化したアルゴリズムに置き換えることができる。ソロバンがなくても暗算できることに似ている。
もう少し言えば、戦略ということを考えさせることだろうか。織田信長は将棋を戦略のために役に立つとして重視したという。
今で言えば、サッカーや野球やチームで戦うスポーツでも、たまには将棋で戦略というものを考えるヒントにすればよいのではないか。
個人競技でも柔道やレスリングなど格闘技ではなおさらだ。かつてプロレスの神様カール・ゴッチは「レスリングはチェスのようなものだ」と言った。つまり単発の技や力技だけではだめで、自分の仕掛けと相手の返し技を読んだ上で、自分の技の組み立てを考えていかなければならないということである。
あまり大げさな礼儀だとか形式的なことは重視されなくなった時代にあって、かつただの使い捨てのゲームではない意義を見出していくことが、将棋が教育の上でも日本の文化としても生き残っていく道だろう。