米国でiPhoneが発売

 話題のiPhoneが米国で一斉に発売された。一般マスコミもこぞってニュースとしてとり上げている。IT関連分野でこんな社会現象のように報じられるのは、いつ以来だろうか。ひょっとしてWindows95以来だろうか?

iPhone発売、全米で“狂想曲”…日本発売は未定

 アップルは、アップルコンピュータからコンピュータの文字がとれて完全によみがえったようだ。技術やデザインはもちろんなのだろうが、なにより先見性が戻ったといえる。時代背景が違うとはいえ、これがスカリーとジョブスの差なのかもしれない。
 iPhoneのコンセプトを見たとき、真っ先に連想されたのは「ニュートンの再来」ではないか、ということである。ニュートンは近未来型のコンピュータという発想で、将来はみながニュートンのような携帯コンピュータを持ち歩くようになるということだった。発想が早すぎたかユーザには受け入れられず、ニュートンは挫折したといえる。これを推進したのはスカリーだった。


 ジョブスがアップルに復帰しても前途多難かと思われたが、Macを立て直し、iPodを普及させ、そして携帯の世界でも飛躍しそうな勢いである。Macにしても昔を知る者としては、MacOS XNEXTSTEPであるワークステーションNeXTは失ったが、Macをプラットホームとして、先進的OSだったNEXTSTEPは復活したのである。またPDAだったニュートンはコンセプトの上で挫折したが、時代はもはやPDAではなく携帯の時代になり、姿を変えてニュートンも復活したといえなくもない。浮き沈みはあったにせよ、ジョブスのシナリオは正しかったと思わせる。


 日本だけはカヤの外である。日本の通信政策の失敗のためか、携帯電話会社の不明のためだろうか。「携帯電話や携帯用音楽プレーヤーはかつて日本のお家芸だったのに」というコメントをどこかのマスコミで流していたが、技術的なものはともかく、先見性を持ってリードできるトップが日本にはいないということかもしれない。目先の金儲けや株価にばかりとらわれるIT企業経営者ばかりが話題になっているようなので、なおさらの感がある。