卒論の代行業があるそうだ

 何でも分業、下請け、派遣などが全盛の世の中で、大学生の卒論の代行業が存在しているそうだ。それが波紋を広げているそうだが、一体どこに影響しているのだろうか文部科学省か大学当局か、現場の教員に対してなのだろうか?

1文字5円、卒論に代行業者…大学は「見つけたら除籍」(YOMIURI ONLINE)

 ネットで業者の広告を見つけた大学教授は「あなたがたのやっていることは犯罪」と言っているが、犯罪とまで断罪するのは無理があるだろう。文部科学省もとりあえずは被害届けがないから、常識論で注意を促す程度にしている。Googleは批判の矛先を広告システムに及ばないように対応しているだけで、YouTubeに違法ファイルアップロードがあったら、批判される前に削除しておくことと同じような対応だろう。
 そうすると、目くじらを立てているのは現場の大学教員ということだろう。驚いて犯罪だ除籍だのと言っているが、本音では「とうとうここまで来たか」と思っているのではないのだろうか。


 「今どきの大学生」という言い方をするとき、大学生全体ではなくて、昔なら大学には到底入学してこれなかったようなレベルの学生のことを指すのではないか。大学の数が増える一方、少子化のために定員を満たすために、まともな入試もやらずにどんどん学力の低い者を入学させてきた。当然ながら、そのツケは教育現場のレベル低下や就職率の低下となってはね返って来る。大学経営のみを優先させた自業自得の結果であるともいえる。


 そうしたレベルの低い学生とは、単に学力が足りないというだけではない。学業に対するモチベーションそのものが低いのである。「理解できないから勉強する」のではなく「理解できないから何もやらない」のである。高校までなら先生から頭ごなしに「あれをやれ、これをやれ」と言われて、それだけをやらされてきた。大学ではテーマだけ与えられて、後は自分で判断せよという。だがその「自分の判断」ということが全くできない


 大半の今どきの大学生よりは、進学校の高校生の方がよほど学業のモチベーションは高い。昔はそういう高校生だけが大学に進学できたはずなのである。今は授業料さえ(親が)払えれば、誰でも大学と名の付いた学校へ行けるようになった。親はなんとか子供を上の学校に上げたい、子供の方はすぐに就職はしたくないし遊びたいから「親が行けと言ったから」という理由を付けて、両者の利害は一致するのである。


 勉強はしたいと思わないが、卒業単位を取るためにどうにかしなければならない。まともなテストでは、ほとんどの学生が点を取れないから、高校までと同様に、先生がなんとかしてくれるだろうと期待する。先生の方はしようがないから、出席状況とかレポートを書かせてお茶を濁すしかない。先生もその程度の学生ということは、大学名を見ればわかっているはずである。そのレポートとやらも、文章も書けないがそもそもレポートとは何なのかもわかっていないし、わかろうともしない。そして現在ではネットという便利なものがある。といっても決してネットの利用が達者だというわけではない。どうするかといえば、レポートのテーマの「○○○について論ぜよ」の○○○のキーワードをGoogeやYahoo!にそのまま入力し、トップで表示されるものを、内容を考えもせずにWordとかにコピー&ペーストすれば、あとは自分の名前だけを入れて終了である。ウソのような話だが、これは実際に聞いた事実である。


 というのが日常だとすれば、卒論をお金で代行を依頼する学生が出てきても不思議ではない。業者だけを悪者のように論じているが、ちょっと的外れなのではないだろうか。根本的なところは、その程度の学生でも入学させざるをえなくなっていること(あるいは卒業させざるをえない)、その程度の学生に自主性を期待して、崇高な?卒論テーマを出してしまっていることの方が問題になってしまっているのではないか。「大学生なのだから」という常識は、あるレベル以下の学生にはもはや通用しない。しかしそういう学生を受け入れてしまった以上は、それなりの対応をしなければどうしようもない状況だろう。


 それにしても卒論1本が35万円以上は高い。35万円もあったら専門書を何冊買えるだろうかと考えるのは、おそらく古い頭の人間なのだろう。