岡島、東京ドーム巨人戦に凱旋登板

 まさに凱旋という言葉がふさわしい。レッドソックス岡島が東京ドームで巨人戦に登板した。ファンからも盛大な拍手と歓声で迎えられたという。はじめは阪神戦の登板予定だったが、岡島自身が希望しての巨人戦登板だったそうである。

岡島、大歓声の中で凱旋登板! 古巣相手に進化を披露 (Sanspo)
フランコーナ監督「勝てる点の取り方できた (SportsNavi)

 巨人に在籍12年、日本一になったときの日本ハムに1年だが、記憶の上では圧倒的に巨人時代のものが大きい。長嶋監督就任2年目のドラフト3位で巨人入り、前年はドラフト1位で松井が入団している。貴重な先発左腕としての期待もあってか、長嶋監督には辛抱強く使われた記憶がある。とはいえ、先発ローテーションにはなかなか入れず(斎藤、槙原、桑田の3本柱が健在の時代である)、中継ぎで頻繁に使われていたが安定感に欠けている印象があった。そんな中で、アクシデント的に急遽先発することがあったが、投げてみたらあれよあれよというまに完投勝利を挙げてしまった。


 そのときに、夢中で投げて球の行き先まで見ている余裕がなかったのだろうということで「アッチ向いてホイ投法」が名づけられたと思う。もともとそういう変則的なスタイルだったのだが、安定感に欠けることを印象付けるトレードマークのようになった。結局、先発にはならず、そのまま中継ぎとして定着するが、堀内巨人の低迷から日本ハムにトレードされる。ここで中継ぎに安定感を示すようになり、日本ハムの日本一に貢献することになる。これがレッドソックスに注目されることになる。しかし中継ぎという、先発やクローザーに比べて、あまり目立たない立場でもあることから、現地では「松坂の話し相手」くらいにしか認識されていなかった。それがレッドソックス世界一に貢献したメジャーで最高の中継ぎ投手として評価されるほどになってしまった。周囲も本人も、まさかここまでになるとは思ってもいなかっただろう。


 そしてその実績を引っさげての巨人戦への凱旋登板であった。メジャーでなくともプロは厳しい。岡島が巨人時代に在籍していた野手と対戦することがなかったというのも、当時から残っている選手は高橋、二岡、阿部くらいだからだろう。また15年前の岡島とドラフト同期の選手もほとんど残っていないはずである。


 いわば遅咲きの選手だったともいえるが、その岡嶋を見出して不安定さには目をつぶり、使い続けたのはやはり長嶋監督だったのだろう。背番号28の速球左腕といえば、第1次長嶋監督時代の新浦とダブるところがある。新浦もノーコンで打たれても打たれても、将来の巨人を背負って立つ投手という期待から使い続けていたからである。


 そして投手として最大の影響を受けたのは、現在でも毎年必ず一緒に自主トレを行っているという桑田の存在である。岡島にとっての師匠でもあるのだろう。こうしたことから、やはり岡島の現在は巨人時代の下積みがあったからこそといえるのだろう。それがメジャーに行ってから、本当に花が開いたということになる。日本での数年の実績だけでメジャーに行っても、必ずしも成功していない選手との違いはこのへんにあるのかもしれない。