テレビ局の不況は本当か

 痛いニュースでテレビ局が不況だということが話題になっている。ニュースソース的にどこまでのことが真実かはやや疑問でもあるが、昨今のテレビの状況から察するにあり得る話ではあるだろう。

スポンサー離れテレビ局の大不況。フジは制作費5%カット(痛いニュース)
フジは制作費5%カット テレビ局の大不況 (内外タイムス)

 まずは視聴率の低下である。一般家庭の生活習慣の変化もあるだろうが、一家団欒のときにみんなで同じ番組を視るという場面は少なくなっているだろう。それにともなってゴールデンタイムという言葉も死語になりつつある。もはや視聴率20%などは非現実的な話のようである。それで同じスポンサー料であれば、スポンサーが付かなくなってくるのは当然であろう。


 そして番組の質の低下である。自分もテレビ番組が面白いとは思えなくなってきたのは、歳を取ったせいだと思っていたが、そればかりではないようだ。若い世代のテレビ離れが大きいようである。内容もない若手芸人のバラエティ番組ばかりでは当然のようにも思える。それを若者がネットに流れたからというが、ネットばかりの原因ではないだろう。ケータイやゲームなど、テレビがなくても1人でもすることにはことかかないし、テレビを視ることの優先順位はどんどん下がっているようである。


 テレビといえばニュースが必須だったが、そのニュース番組もバラエティ化が進み、世論誘導しようとしているのではないかと嫌気が差すことも多くなったように思う。またそれを重視してか、政治家までバラエティ番組に頻繁に出演し、人気取りに軽率な発言を繰り返しているようにも見える。テレビ局が政治家を呼びつけて、何かを言わせようとする驕りさえ感じる。テレビ局自体が自分たちが「世論」を代表しているかのような態度である。他人の批判はセンセーショナルに行うが、テレビ局の不祥事はうやむやにする。昔はテレビばかり視ていると「一億総白痴化」すると言われた。もはやこうした単方向メディアの限界が見え出したのかもしれない。


 一方では、危機感があるのか、テレビはネットを目の仇にしたような報道をする。ここ数日では、硫化水素による自殺が相次いでいるのはネットで硫化水素の情報が容易に得られるからだと報道している。だからネットの情報書き込みは自粛すべきだとの論調だが、それを言うなら、テレビ報道こそ自粛するべきだろう。これまでも何か事件があると、そのテレビ報道を見た模倣犯、愉快犯が続けて現れるようなことがしばしばあった。だがそう言われると「報道する使命や自由」というような主張をする。


 従来のテレビという形態そのものが時代遅れになってきていることは間違いがないことだろう。それにともなって、ビジネスモデルもこれまでのような大手スポンサー頼りという形から変わってくることは避けられないだろう。2011年にはアナログ放送が終わり、すべての家庭でデジタルテレビに切り替えなければならない日が近づいているが、ますます新たにテレビそのものを買おうという気にならなくなっているのも皮肉なものだ。