IPv4アドレスの枯渇時期が近づく

インターネット初期の頃から言われていたIPアドレスの枯渇問題が、ここに来て残り日数が示されてカウントダウンの様相となってきた。これはいったい誰の問題なのだろうか?

IPv4アドレスの枯渇まで残り1,000日切る、IPv6への..(INTERNET Watch)

 もともとインターネットは誰かが管理したり認可しているものではないといわれる。「インターネットってどこがやっているの?」という質問に対して、テレビ局や新聞社がやっているとかという類のものではない。唯一、ドメイン名とIPアドレスの割り当てだけをJPNICが行っているだけだ。それとて国の直轄管理する団体でもない。国際的に決められた日本へのIPアドレスの割り当て範囲を、再配布しているだけである。


 世界的にもIPアドレスは不足してくるのは自明のことだが、日本のように人口が多い先進国なら、その消費スピードも大きいのは当然である。それだけに先を見越して、世界に先駆けてでも対策を打っておくべきことだったはずである。
 記憶によれば、国会の中で初めて「IPv6」なる言葉が登場したのは、8年くらい前になる森首相(イット首相?)が施政方針演説の中でだった。森首相は内容についてほとんど理解していなかったとは思われるが、せっかく国が率先してIPv6に取り組むと宣言したのだから、今から考えればその方針に沿って、推進すればよかったともいえる。道路財源とやらで、光ファイバーの道路埋め込み工事だけで終わってしまったのだろうか。


 それがここ8年もの間、IPv6は機能としては含まれるものの、ほとんど普及してこなかったと思えるのは、どういう理由だったのか。どうもIPv6そのものが不評であり、現状で足りているのに無理に移行するモチベーションが沸かないなどの理由でズルズルとここまで来たようである。


 確かにIPv4は、ルータのIPマスカレード機能により、ケチケチと使う技術が普及し、かなり延命はされてきたと思う。少なくとも組織の中では内部IPアドレスを使えばいいだけであり、これは枯渇などという心配はない。問題はネット事業者が新規顧客にサイト設置を行う際のIPアドレスがなくなることである。しかし、これとて1事業者が勝手に新規にIPv6を配布できるというものではない。むしろ現状では自由にIPv6を使ってネットの構築を行えるのは内部ネットだけであり、外部インターネットはIPv4のままのルールを守らなければならない。そうなると、内部はIPv6で外部はIPv4となるような変換を行いながら、ネットの運用を行わなければならない。これがIPv6 over IPv4である。つまりIPv6のパケットをIPv4のトンネルの中を通させることになる。


 しかしIPv4アドレスの枯渇を考えれば、これは逆であろう。外部インターネットこそIPv6アドレスを持たせ、内部ネットはIPv4のプライベートアドレスで十分なわけだから、IPv4 over IPv6となるべきである。ただ外部インターネットは国際的にすべてIPv6に移行しなければ、これは機能しないだろう。とすれば素人考え的には、日本国内サイト全体を内部IPv6ネットワークのようにしてしまって、海外サイトとの接続をIPv6 over IPv4のようにしてしまってはどうか。実質的にはプロバイダやネット事業者に接続する国内ユーザとはIPv6でやりとりをして、海外サイトとの接続の際にはIPv4に変換して接続するということである。


 もう1つIPv4のアドレスが不足と聞くと気になるのは、インターネット初期の頃に大手企業などは、かなりのIPアドレスを早い者勝ちで大量入手していたはずである。そのIPアドレスの多くは返還されることもなく死蔵されているのではないかとも思う。今では考えられないことだが、クラスA単位でポンポンと割り当てられたはずである。まだ当時はインターネットに接続できるのは大企業の特権とかステータスだと思われていたのだろうか。IPv6を普及させるに当たっては、これらのIPv4アドレスも返還させるべきだろう。そうして将来を見据えてこうした施策を進めることこそ、国のなすべきことであろう。


 枯渇時期とされる2011年といえば、テレビ放送は有無を言わさずデジタル放送だけに切り替わる。こちらは認可制だからといはいうものの、将来を考えればテレビがどうなろうと、ネットの方がはるかに重要である。
 最近の政治は、社会的にネットを規制をすることばかりにご執心であるが、もっとインターネットの根底にかかわるインフラ整備にも視点が置かれていないことは残念ではある。やはり政策内容は、表面的なパフォーマンスばかりが優先されるだろうか。