Windows 7のエディションは6つ

 どうせ出すならVistaの悪夢を払拭すためにも早く出せばよいとは思えるが、Microsoftには技術的問題よりもマーケティングの問題の方が重要なのだろう。あまり誰も期待していないのに、結局、Vistaと同じく6つもエディションに分けることが決まったようだ。いつものことだが、エディションの技術的な違いを説明をするのは難しいことになるだろう。

Microsoft、Windows 7のエディションを発表(ITmedia)
Windows 7のエディションは6つ―そんなに要らないよ(ITmedia AnchorDesk)

 Microsoftにとってはエディションの違いは価格の違いになるわけだから、一生懸命、価格の高い方のエディションの有利さを説明しようとすることだろう。しかしおそらく技術的な違いはほとんどないのが実情だろう。Microsoftの営業ならば、いくらでも違っているようにアピールするのだろうが、ユーザ企業の担当者が自社に導入あるいはバージョンアップを提案しようとするとき、このエディションを違いを説明させられることは堪ったものではないだろう。「なぜこれだけエディションに違いがあるのか」と問われても「Microsoftの勝手でしょ」としか言いようがない。


 品揃えが豊富であるように見せかければ、消費者の購買意欲が増すという心理的効果を狙っているのだろうか。しばしば定期的な出張のために、安いビジネスホテルをネットで予約することがあるのだが「宿泊プラン」と称して、シングル1泊だけでもいろいろなコースが用意されていて、どれが本当に安いのかさっぱりわからないことがある。食事付きとかの違いではなく、ドリンクサービス付きだとか、プリペートカード付きだとか、朝刊付きだとか、結局宿泊する部屋は同じなのに、微妙に宿泊料も異なるように設定してある。それと同じようなもののような気がする。


 昔はWindows NT Serverとクライアント版であるWindows NT Workstationの価格差が問題にされたこともある。実はほとんど違いはないのに、サーバー版と銘打っているだけで高額なのはおかしいというわけである。それだけでなくサーバー版はライセンス数が問題になってきて価格も現実的でなくなることになり、インターネットが普及してくるとともに、事実上Windows Serverは仕事の上でも個人的な使用でも捨てた。Linuxなどはクライアントでもサーバーも事実上違いはなく、ディストリビューションの違いはあるものの、ソフトウェアは1つという意識が強い。何しろライセンスフリーである。価格交渉も予算要求も、エディションの違いの説明と提案も必要ない。サポート体制にどれだけの予算、人員を割けるかということだけに集中すればよい。クラウド時代になれば、これらの考え方はもっと変わるだろう。


 エンドユーザに対して、MicrosoftにはWindowsだけでもこれだけソフトウェアの箱の品揃えがありますよ、というような見せかけのマーケティングの手法はもはや古いものだと思うが、いつまで続くことだろうか。