iPadの衝撃の影響は?

 iPadは、現代のロゼッタストーンになりうるか?デジタル化にともなって、既存の出版分野も衰退の一途をたどっているようにみえるが、電子書籍市場が切り拓かれることにより、新しい出版のパラダイムへの転換は起きるのだろうか。

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 電子書籍という言葉はすでに新しいものでも何でもない。ただ従来のものは、紙の書籍と同じ内容のものをファイルのままでCDやDVDなどのオフラインメディアで配布していたに過ぎない。しかし現在の電子書籍はネット接続を前提として、タッチパネル式で何でもできてしまいそうである。画面ではPCとしての操作も、スマートフォン的な操作もできてしまうだろう。書籍やメディアを1つの画面の中だけで見たり操作できてしまう。それゆえAppleとしてはiPadネットブックiPhoneの中間の位置づけなのだという。


 そうなると問題はコンテンツとなる電子書籍の出版、新聞社などのニュースの配信などが、どれだけ整備され、どれだけの価格で提供されるようになるかにかかっているだろう。それらがリーズナブルで紙の書籍や新聞などよりも手頃の価格で提供されるようなら一気に時代は変わってくる可能性は高い。


 既存の出版業界は救えないなどという批評もあるが、それは当たり前だろう。時代の変化に合わせて自ら変革できるところだけが自ずと生き残れることは、歴史的に見ても何も出版業界だけに限った話ではない。アイデア次第では紙の書籍ではなしえなかったサービスやコンテンツの提供できる可能性もあるだろう。


 教育の分野でいえば、たとえば子供はランドセルの中に何冊もの教科書やノートを持ち歩かなくても、小さなまな板みたいな電子書籍リーダー1つを持って学校に行けば、教材提示からノートや落書き、アニメの視聴やマンガを読んだりまですべてできるようになるかもしれない。ほとんど無数の本がそこから読み出せると考えるだけでも、大いに可能性を感じさせられる。


 いずれにせよ、普及しだすと音楽と同様に必ず著作権問題が足を引っ張ることになってくるだろう。しかし先日に公開されたというニュートンのエピソードに関する昔の書が3Dで眺められたように、あたかも図書館の本を自由に読んだり調べたりできるような電子書籍が増えることを望みたいものである。少なくても、まさか「現在売り切れ」とか「貸出中」ということはありえないからである。