原宿でパニックの原因は携帯?

 デマに扇動されてパニックになる、などという社会現象は政情不安定な国か、情報手段が限られている国での出来事かと思っていたら、何とも不思議なことが原宿竹下通りで起こったものである。携帯メールによる噂がデマとなってリアルタイムで広がったというのだが、さて。

原宿パニック、Twitterに動画や写真で“速報”続々(ITmedia)
携帯電話のメール、ネットで一気にデマ拡大 原宿・竹下通りがパニックに(MSN産経ニュース)

 休日ならまだしも、平日にも拘わらず、これだけの群衆が集まったのは竹下通りという若者のファッションやブランドの店が立ち並んでいる環境であること、若者は春休み中であること、そして全員が携帯を持ち歩きながらでも情報のやりとりをしていたことが重なって、こうした現象が起きたようだ。携帯メールがどうこう言う前に、こうなるとそもそも若者は情報に強いといえるのか、弱いといえるのか、よくわからなくなる。


 若者は携帯メールを1:1でリレーしながら使っていたのか、SNSのような複数のユーザが集まる場で情報交換していたのかわからないが、後者だとすればログは残っているはずである。


 噂話を一人ひとりリレーしていくと、だんだん話に尾ヒレが付いて、結果的にとんでもない話になるというのは昔からよくある話だ。途中の誰かの「ひょっとして、こうなんじゃないか」との推測話も伝わるうちに、既定事実になってしまったりする。誰かが意図的に話をねじ曲げたわけでなく、微妙なニュアンスの違いや強調する部分がズレてくると、次第に話の本質まで変わってしまうという、誤差が増幅されて伝搬してしまうような現象だろう。


 またこのパニックの様子をTwitterでリアルタイムで速報もしていた人たちもいたという。こちらは大人のグループである。携帯メールよりはこちらの方が今風である。Twitterといえば、イランでの大統領選の結果に反対する市民デモがTwitterで組織されたことが思い出される。そちらは選挙結果の真実を追求するための抗議デモのために使われたといえる。「芸能人がきた」というだけでのパニックとは、だいぶ国情の違いを思い知らされる。ネットはデマを拡大するツールではなく、真実を知りうるツールとして使えるようになりたいものである。


 ところでこうした事故が起きると決まって「将棋倒し」という言葉が報道で使われる。不幸にして死者が発生したりすることもあるので、決してイメージがよろしくない。「将棋倒し」という言葉は将棋用語そのものにはないが、マスコミの事故の報道にさかんに使われると、将棋のイメージも悪くなる。昔、将棋界がマスコミに事故の報道に「将棋倒し」という言葉を使わないように要望したこともあったと思うが、全く変わっていないようである。差別用語には神経質になるマスコミも将棋には無頓着ということだろうか。