米長邦雄・日本将棋連盟会長死去
日本将棋連盟の現会長で元名人、永世棋聖の米長邦雄氏が亡くなった。69歳というから、奇しくもあの大山康晴十五世名人と同じ享年であった。ここでしばしば名プロレスラーの訃報を書くことはあったが、将棋の棋士は初めてである。
訃報:米長邦雄さん69歳=将棋連盟会長、初の50代名人(毎日jp) 米長邦雄さん死去:ライバル中原氏ら、哀悼の意 米長邦雄永世棋聖、死去 コンピュータ将棋との対戦も(ITmedia)
米長氏といえば現役時代、中原十六世名人とともに「中原・米長時代」といわれるライバル時代を築いた。1980年代がその全盛期だったと思う。将棋界では昔の「大山・升田時代」に匹敵するものだった。自分も少年時代に将棋に熱中した時期があったが、米長将棋とは既存の常識に囚われない柔軟な発想の将棋だったように感じた。今では見ることがなくなったが「角頭歩戦法」や「横歩取り△4二玉」などは最たるものだった。後年にも「米長玉」などの新手が登場する。現役時代の著書「米長の将棋」にはそうした特徴がよく現れている。谷川九段も「少年時代のバイブルだった」と言うほど、当時としては斬新な発想の将棋の戦法書といえただろう。将棋戦法を近代化させた棋士の一人だったと思う。
米長の将棋〈1〉居飛車対振飛車(上) (MYCOM将棋文庫DX)
- 作者: 米長邦雄
- 出版社/メーカー: 毎日コミュニケーションズ
- 発売日: 2004/01
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (1件) を見る
引退後は東京都教育委員や日本将棋連盟会長として活躍するが、その言動が往々にして物議を醸すこともあった。将棋界内部のことはともかく、園遊会での天皇の前での国歌国旗発言などもあった。それらの功罪もあっただろうが、他の棋士にはない強烈な個性と人を引き付ける魅力があったことも確かである。同じ年代で他の分野でいえば、小沢一郎やアントニオ猪木に通じるものがあるだろう。
米長氏が最後に関わったものが先日第2回が発表された「電王戦」だろう。第1回は自らが立ち上げコンピュータと対決し玉砕したが、結果的に一時はコンピュータとの対局禁止令を出すなどの紆余曲折はあったものの、今後のプロ棋士と最新コンピュータ将棋との対決の道を付けたといえるだろう。ただその成り行きを見届けることはできなかった。合掌。