阪神淡路大震災

 気がついたら、もう12年前の1月17日のことだった。関東に住んでいるので、直接の影響はなかったが、その前年暮れの八戸地震には東北新幹線に乗っていて出くわしていた。年が明けてやれやれと思っていた矢先に、今度は関西で大地震。それからこの年には春先にオウム事件もあり、大変な年だった。それからすれば、今年は比較的平穏な年の始まりといえるのだろうか。個別には嫌な事件は起きているようだが。
 阪神淡路大震災というが、当時は何の変哲のないような「兵庫県南部地震」と言われたり(募金の際に使われていた)、週刊誌的には関東大震災と対比して「関西大震災」と大見出しにも出ていた。炎上する町、横に倒れたビル、折れ曲がった高速道路など、テレビで悲惨さを茫然と見るしかなかったが、今と対比してみて、いくつかのことが思い出される。


 当時の村山総理「なにぶん初めてのことなので」(バカヤロー何回もあってたまるか)、上からの出動命令が出ずに出動できなかった自衛隊の隊長が無念の涙を見せたこと(非常時より上官の命令)。セブンイレブンがいち早くヘリコプターで現地に食料を届けたこと(コンビニの機動力を見せつける)。ソープランドが避難住民のために風呂を提供したこと(さすがおフロやさん)。通信手段が途絶えて家族の安否を知らせるのに、当時まだ生き残っていたパソコン通信が役立ったこと(インターネットなんてまだ使えねー時代)。テレビの有名キャスターが現地にヘリコプターで降り、ガレキに埋まっている人の救出作業をしている横から「今の気持ちを教えてほしい」などと聞き、手助けもせずさっさとまたヘリで帰り、顰蹙を買っていたこと(異論反論)。
 ネットなど技術的に進歩したことはあるが、人間が関係する部分では悪い意味でほとんど変わっていない。同じような災害がまた日本のどこかであっても、今でも国の対応は似たようなものにしかならないだろう。今やそれに加え、テロだのどこかからミサイルが飛んでくる可能性もないとは言えなくなった。有事に生き残れるかどうかは、結局は自分しか頼りにならないと考えるしかなさそうだ。