山本KIDフォール負け

 プロを休業してアマレスで五輪を目指す山本KIDが、2回戦でフォール負け。負けただけでなく、相手の投げでひじを脱臼してしまい、全治3,4ヶ月だとか。かろうじて次の全日本選抜選手権の出場権は得たので、まだ五輪代表になる可能性は残されたが、なかなか前途は厳しいようだ。
 アマレスで一流だったからといって、プロレスや格闘技のプロに転向しても一流になれるわけではないし、逆にプロで実力と人気を博したからといって、アマレス流のレスリングテクニックが進歩するわけでもない。
 最近でこそKIDも含め、顔面パンチありの総合格闘技の選手に人気があるが、かつてのプロレスでは開祖の力道山の頃は、相撲と柔道の転向者がほとんどだった。意外にもレスリングからの転向者は遅く、東京五輪代表だったマサ斎藤サンダー杉山が最初だろうか。その後五輪代表組では、ジャンボ鶴田長州力谷津嘉章馳浩中西学などと続く。代表ではないがレスリング出身も多く、弟が銀メダリストの永田裕志、石沢常光、藤田和之秋山準、そして桜庭和志がいる。

 アマレス出身者にも向き不向きがあるようで、総合格闘技に向いていたのが桜庭と藤田だった。アマレス最強と言われ、一時はソウル五輪を目指し、KIDのようにアマレス大会に出戻ったのが谷津。このときの決意の言葉が「原爆固めを決めてやる」と(笑)。重量級で優勝するも、当時は五輪代表にはプロは認められず断念。谷津は晩年になってからPRIDEに出場したが、これはボコボコにされて通用しないことを露呈してしまった。アマとプロの両方に通用するのは、スタイルの違いはあれ、いかにも難しいようだ。プロは技術ばかりでなく、人気が取れてなんぼの世界なだけに、アマレスのように一瞬のポイント勝負になると、プロで身に付いた余計なパフォーマンス的動きが隙になってしまうこともありそうだ。
 そうそう、浜口京子のおやじはプロレスラーのアニマル浜口だった。今じゃすっかり名物おやじにされているが、あれこそプロレスラーのパフォーマンスそのものであり、観客が居ると自然と出てしまうものだ。