柳沢厚労相に見る公的立場の発言

 さてさて、例の柳沢厚労相の「女性は子供を産む機械」発言は、ここ数日のうちにすっかり流行語大賞になってしまった感じだ。ヒステリックに女性差別だの蔑視だのという批判は溢れ返っているだろうから、少し別の角度で見たい。今後の政治に与えるであろう影響などは立花隆氏の論評が面白い。

立花隆:「女性は子供を産む機械」発言で湧き出る安倍「大政奉還」論

 柳沢大臣は大蔵官僚出身のエリートで、大蔵官僚のときに初めて消費税導入を企画した張本人らしい。つまり、ずっと上からの物言いに慣れてきた人なので、こうした発言が出てしまうのかもしれない。はっきり言ってズレているというか、たとえ話の下手さなどはエリートゆえのボキャブラリの貧困といえるかもしれない。学歴は無くとも人生経験の豊富な人から発せられる言葉には、感銘させられることがあるが、こうした大臣の話は鼻につくエリートの自慢話やらばかりで、おそらく聞いている庶民にはつまらない話ばかりに違いない。そうした中で少子化問題にからめて、講演会でくだけた話をするつもりで失敗したのだろう。


 それにしても大臣などの失言が後を絶たない。辞任するのしないのの以前に、公的な立場の意識が薄いのではないかとさえ思える。これが永田町の論理というやつなのだろうか。別に大臣ほど偉くなくても、マスコミに注視されていなくても、それなりの立場や地位になれば、公の場での発言には相当気を使うのは当たり前だ。その僅かな言葉のアヤとかあいまいさを追求されることも、ごく普通にありうる。それを予期して言葉や表現に慎重になるのだし、万一追求されても対応できるように理論武装しておかなければならない。肩書きを背負って話すのと一私人として話すのでは、意識に雲泥の差がある。


 とはいえ最近、日替わりのように集中砲火を浴びせる「悪人探し」が行われる風潮もどうかと思う。これも子供にイジメの意識を助長する悪影響を与えるのじゃないのかと思える。
 エリート大臣が軽く見えて、むしろ軽いお笑いのはずの東国原知事が真面目に話す方が、よほど重みがあるように見えてしまうのも不思議なものだ。